【故事成語】
熱けれども悪木の陰に憩わず
【読み方】
あつけれどもあくぼくのかげにいこわず
【意味】
どんなに苦しい状況にあっても、悪いものや不正な手段に近づかないこと。高い志を持つ者は、一時の楽や利益のために身を汚さない、という戒め。


【類義語】
・渇しても盗泉の水を飲まず(かっしてもとうせんのみずをのまず)
・悪木盗泉(あくぼくとうせん)
「熱けれども悪木の陰に憩わず」の故事
この故事成語は、中国の西晋(せいしん)の文学者・陸機(りくき)が作った『猛虎行(もうここう)』に基づきます。陸機は261〜303年の人で、字は士衡(しこう)といい、呉(ご)の滅亡後に洛陽(らくよう)へ入り、のちに政争に巻き込まれて亡くなった詩人です。
『猛虎行』は、中国南朝梁(なんちょうりょう)の昭明太子(しょうめいたいし)・蕭統(しょうとう)らが6世紀前半に編んだ詩文集『文選(もんぜん)』に収められています。『文選』は古い中国文学の代表的な作品を集めた書物で、日本にも早くから伝わり、漢詩文を学ぶうえで大切に読まれてきました。
『猛虎行』のはじめには、「渴不飲盜泉水,熱不息惡木陰」とあります。これは、のどが渇いても「盗泉(とうせん)」という名の泉の水は飲まず、暑くても悪い木の陰では休まない、という意味です。
盗泉は、中国山東省(さんとうしょう)の泗水県(しすいけん)の東北にあったと伝わる泉です。孔子(こうし)がその名をきらって水を飲まなかったという話と結びつき、悪い名をもつもの、または不正を思わせるものを避ける象徴になりました。
陸機の詩では、盗泉の水と悪木の陰が、ただの水や木陰ではなく、「助かりそうに見えても、近づけば自分の志を汚すもの」として並べられています。続く句には「惡木豈無枝,志士多苦心」とあり、悪い木にも枝はあるが、志の高い人には多くの悩みがある、という意味を表します。
ここで大切なのは、苦しいときの一時しのぎを、ただ便利だからと受け入れない心です。日差しが強ければ木陰に入りたくなり、のどが渇けば水を飲みたくなりますが、その木陰や水が不正と結びつくなら、あえて退くという考え方がこの言葉の芯にあります。
陸機自身も、もとの国が滅びたあとに別の権力のもとで生きるという、複雑な時代を経験しました。そのため『猛虎行』の言葉は、単なるきれいごとではなく、苦しい現実の中でも志を守ろうとする人の迷いと決意を含んでいるといえます。
後の日本では、「渇しても盗泉の水を飲まず」という言い方が広まり、「悪木盗泉」という形でも、苦境にあって不正なものに手を出さない意味で用いられるようになりました。「熱けれども悪木の陰に憩わず」は、その対になる句として、暑さをしのぐ木陰でさえ、悪いものなら頼らないという強い戒めを伝えています。
「熱けれども悪木の陰に憩わず」の使い方




「熱けれども悪木の陰に憩わず」の例文
- 熱けれども悪木の陰に憩わずの心で、彼は友人から見せられた答えを写さなかった。
- 苦しい経営の中でも、熱けれども悪木の陰に憩わずを守り、会社は不正な取引を断った。
- 熱けれども悪木の陰に憩わずという言葉どおり、彼女は楽に勝てる不正な方法を選ばなかった。
- 推薦を得るためのうその実績作りを断った姿勢は、熱けれども悪木の陰に憩わずにふさわしい。
- 熱けれども悪木の陰に憩わずを胸に、父は一時の利益よりも信用を大切にした。
- どれほど困っていても、熱けれども悪木の陰に憩わずを忘れず、正しい手順で助けを求めるべきだ。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・内田泉之助・網祐次著『新釈漢文大系15 文選(詩篇)下』明治書院、1964年。
・蕭統編『文選』6世紀前半成立。
・陸機『猛虎行』西晋。























