【ことわざ】
諦めは心の養生
【読み方】
あきらめはこころのようじょう
【意味】
失敗や不運をいつまでも悔やまず、思い切ってあきらめることが、心の健康を保ち、気持ちを立て直す助けになるということ。


「諦めは心の養生」の語源・由来
「諦めは心の養生」は、「諦め」と「心の養生」を結び付けた言い方です。「養生」は、生命を養い、健康を保ち、病気からの回復に努めることを表します。このことわざは、失敗や不運に傷ついた心にも、からだと同じように休みと手当てが必要であることを表しています。
「養生」という言葉は古く、『明衡往来』(11世紀中ごろの文献)に「松子養生之術」とあります。ここでの「養生」は、生命を養い、健康を保つための術という意味で用いられています。
鎌倉時代初期に鴨長明が著した随筆『方丈記』(1212年)には、「つねにありき、つねに働くは、養性なるべし」とあります。ここでは「養性」という表記で、日々からだを動かすことが、身を保つ心得として語られています。
「養生」と「養性」は、本来は意味の異なる漢語でしたが、日本では古くから混用されました。そのため、命や健康を保つことを表す「養生」は、暮らしの中で自分の身をいたわる意味をもつ言葉として、長く用いられてきました。
「諦めは心の養生」は、このように身体をいたわることを表してきた「養生」を、心の持ち方へ向けた表現です。失敗や不運をいつまでも悔やみ続ければ、心は苦しさから抜け出しにくくなりますが、変えられない結果に区切りをつければ、気持ちを立て直す道が開けます。
古い用例として、『処世の栞(しょせいのしおり)』(昭和3年、望月峻著)の「あの部」には、「諦めは心の養生。」と、現在と同じ形の言葉が収められています。昭和初期にはすでに、日々の心の持ち方を説く短い教えとして、この表現が書物に記録されていました。
このことわざがすすめるのは、まだできる努力を簡単に投げ出すことではありません。すでに起きてしまった失敗や、もう変えることのできない不運をいつまでも悔やまず、心を落ち着かせて次の一歩へ進むことを教えているのです。
「諦めは心の養生」の使い方




「諦めは心の養生」の例文
- 大切にしていた万年筆を何日探しても見つけられず、諦めは心の養生と考えて新しい一本を使い始めた。
- 雨で中止になった遠足をいつまでも惜しまず、諦めは心の養生として次の楽しみを探した。
- 落選した作品のことばかり悔やむ娘に、母は諦めは心の養生という言葉を贈った。
- 抽選に外れた旅行券を惜しみ続けるより、諦めは心の養生と気持ちを切りかえ、別の休日の計画を立てた。
- 成立しなかった取引を悔やみ続けても状況は変わらず、彼は諦めは心の養生と自分に言い聞かせた。
- 取り消せない行き違いをいつまでも責め合うのをやめ、二人は諦めは心の養生の教えに従って関係を立て直した。
主な参考文献
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・望月峻『処世の栞』由比町信用購買販売利用組合、1928年。























