【ことわざ】
薊の花も一盛り
【読み方】
あざみのはなもひとさかり
【意味】
見た目が目立たないものでも、盛りの時期にはそれなりの魅力を持つというたとえ。古くは、容貌のすぐれない女性でも年頃になれば魅力が出るという意味で用いられた。


【英語】
・Everything is good in its season.(何ごとにもふさわしい盛りの時期がある)
【類義語】
・鬼も十八番茶も出花(おにもじゅうはちばんちゃもでばな)
・蕎麦の花も一盛り(そばのはなもひとさかり)
「薊の花も一盛り」の語源・由来
「薊の花も一盛り」は、中国の古い人物や事件に由来する故事成語ではなく、アザミという植物の姿をもとにした日本のことわざです。アザミは葉や茎にとげを持つ草で、野山に生え、赤紫色の花をつけるものが多くあります。
アザミの花は、バラやサクラのように華やかな花の代表として扱われることは多くありません。とげがあり、近寄りにくい印象を持たれやすいことから、このことわざでは「ふだんはあまり美しく見られない花」として見立てられています。
しかし、アザミも花ざかりを迎えると、紅紫色の花が野に目立ち、それなりの美しさを見せます。この「地味に見えるものにも、盛りの時期には美しさがある」という観察が、ことわざの中心になっています。
「一盛り」は、ある時期に盛んであること、また、そのものがいちばんよく見える時期を表す言い方です。そのため、このことわざの「一盛り」は、アザミの花が咲きそろう花ざかりを指すと同時に、人の年頃の魅力にも重ねられています。
アザミという名は古く、10世紀初頭の『新撰字鏡(しんせんじきょう)』に「阿佐弥」と出てくることが知られています。ただし、これは植物名としての古い表れであり、「薊の花も一盛り」ということわざそのものの出発点を示すものではありません。
このことわざの成り立ちは、植物名そのものの語源よりも、アザミの見た目と花ざかりの対比にあります。とげがあって人に好かれにくい花でも、美しく見える時期があるという発想から、人にも魅力が表れる時期があるという意味へ移ったと考えられます。
同じ発想を持つ言い方に、「蕎麦の花も一盛り」や「鬼も十八番茶も出花」があります。いずれも、目立たないものや高く評価されにくいものでも、盛りの時期には魅力が現れるという考え方をもっています。
とくに「鬼も十八番茶も出花」は、鬼でも年頃になれば少しは美しく見え、番茶でも入れたては香りがあるという見立てをもとにしています。このことから、「薊の花も一盛り」も、同じ系列の古い比喩として理解できます。
ただし、これらのことわざには、容貌を外から評価する古い価値観が含まれています。昔の表現として意味を学ぶことはできますが、今の会話で人に向けて使うと、相手を傷つけたり、失礼に聞こえたりすることがあります。
現在このことわざを扱うときは、「どんなものにもそれぞれ輝く時期がある」という広い意味で理解すると分かりやすくなります。一方で、もとの意味には人を低く見る言い方が含まれるため、実際に人をほめる言葉としては避けたほうがよい表現です。
つまり、「薊の花も一盛り」は、アザミの花ざかりから生まれた、盛りの時期の魅力をいうことわざです。美しさの見方を教える一面を持ちながら、同時に、古い時代の言葉づかいとして慎重に受け止める必要があります。
「薊の花も一盛り」の使い方




「薊の花も一盛り」の例文
- 昔風の文章では、地味だった少女が年頃になって魅力を帯びた様子を、薊の花も一盛りと表すことがある。
- 野原のアザミが紫に咲きそろい、薊の花も一盛りということわざの見立てが自然に思い浮かんだ。
- 薊の花も一盛りは、人の容貌を下に見る響きがあるため、褒め言葉としては使いにくい。
- 国語の授業で、薊の花も一盛りを、古い価値観を含むことわざとして取り上げた。
- その小説では、村で目立たなかった娘が成長して注目される場面に、薊の花も一盛りが使われていた。
- 薊の花も一盛りという言葉を学ぶと、ことわざには昔のものの見方が残ることも分かる。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2006年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館。
・平凡社編『改訂新版 世界大百科事典』平凡社、2007年。
・Thomas Preston comp., 『A Dictionary of English Proverbs and Proverbial Phrases』Whittaker & Co.























