【故事成語】
一簣を以て江河を障う
【読み方】
いっきをもってこうがをささう
【意味】
わずかな力で、大きな乱れや非常に大きな事態を防ごうとすることのたとえ。力があまりにも小さく、相手や問題の大きさに及びにくい場合にいう。


【類義語】
・大海を手でふさぐ(たいかいをてでふさぐ)
「一簣を以て江河を障う」の故事
この故事成語のもとになった表現は、『漢書(かんじょ)』(80年ごろ成立、後漢の班固撰、班昭らが補う)に出てきます。『漢書』は前漢の歴史を紀伝体で記した中国の史書で、何武・王嘉・師丹の伝の終わりに、その三人の行動をふり返る「賛」が置かれています。
その「賛」には、「武、嘉區區、以一蕢障江河、用沒其身」とあります。ここで「蕢」は、現在の日本語表記で「簣」と書く字にあたり、土を運ぶ竹かご、つまりもっこを指します。もっこ一杯ほどの土で大河をふさぐという、力と相手の大きさがまるで釣り合わないたとえです。
この言葉の背景には、前漢末の政治の乱れがあります。何武は、王莽の勢いが強まる中で、幼い君主を支える大臣の選び方について考え、王莽に都合のよい流れに従いませんでした。しかし、のちに王莽の力が増すと、何武は罪に巻きこまれ、自ら命を絶つことになりました。
王嘉は、哀帝が寵愛した董賢へ過分な封地や財を与えることを強くいさめました。王嘉は詔書をそのまま受けず、爵位や土地を与えることは慎重でなければならないと述べ、董賢を重く用いすぎることが国を乱すと訴えました。
けれども、王嘉の言葉は受け入れられず、かえって罪に問われました。王嘉は獄につながれ、二十日余り食を断って血を吐き、亡くなります。『漢書』の「以一蕢障江河、用沒其身」は、何武と王嘉が正しいことをしようとしながらも、時代の大きな流れを止めきれず、身を失ったことを、きびしい比喩で述べた表現です。
後の『後漢書(ごかんじょ)』(432年成立、南朝宋の范曄撰の列伝を含む)にも、この表現は引かれています。張儉という人物について述べる場面で、「前書班固曰」として『漢書』の言葉を引き、「區區以一簣障江河」と記しています。ここでも、小さな力で大きすぎる乱れを一人で防ごうとすることへのたとえとして使われています。
日本語では、「一簣を以て江河を障う」または「一簣を以て江河を障ぐ」の形で受け入れられました。「障う」は「ささう」と読み、「障ぐ」は「ふせぐ」と読む形です。現在は、文字どおり川を止める話ではなく、あまりにも小さな力で大きな乱れや難事を防ごうとすることを表す故事成語として用いられます。
「一簣を以て江河を障う」の使い方




「一簣を以て江河を障う」の例文
- 一人の係だけで千人分の入場整理をしようとするのは、一簣を以て江河を障うようなものだ。
- 町全体の交通問題を、一本の細い看板だけで解決しようとしても、一簣を以て江河を障うに近い。
- 巨大な災害への備えを一つの家庭だけに任せるのは、一簣を以て江河を障う発想だ。
- 会社全体の不正を新人一人の注意だけで止めようとしても、一簣を以て江河を障う結果になる。
- 大量に流れこむ迷惑メールを手作業だけで消していくのは、一簣を以て江河を障うような対応だ。
- 大きな混乱を小さな注意書き一枚で防ごうとする計画は、一簣を以て江河を障うと言われても仕方がない。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・白川静著『字通 普及版』平凡社、2014年。
・班固『漢書』80年ごろ成立。
・范曄撰『後漢書』432年成立。























