【ことわざ】
痛し痒し
【読み方】
いたしかゆし
【意味】
二つの方法のどちらを選んでも具合が悪く、どうすればよいか迷うこと。また、よい面と悪い面が入り混じって困ること。


【英語】
・That puts me in a quandary(それは判断に迷う状況に置く)
・be caught between a rock and a hard place(どちらを選んでも困る状況にある)
・a ticklish subject(扱いの難しい問題)
【類義語】
・一長一短(いっちょういったん)
・一利一害(いちりいちがい)
・彼方立てればこちらが立たぬ(あちらたてればこちらがたたぬ)
【対義語】
・一石二鳥(いっせきにちょう)
・一挙両得(いっきょりょうとく)
・一挙両全(いっきょりょうぜん)
「痛し痒し」の語源・由来
「痛し痒し」は、体の感覚をもとにした、たいへん分かりやすい比喩から生まれたことわざです。かゆい所をかけば痛くなり、かかずにいればかゆさが続くという、どちらを選んでもすっきりしない状態がもとの考えです。
このことわざの中心には、「一方をよくしようとすると、もう一方に支障が出る」という考えがあります。単に困るというだけでなく、どちらにも理由があり、簡単に一方だけを選べない場面を表すところに特徴があります。
古い用例としては、『口真似草』(1656年・江戸時代前期、梅盛編)に「雨風はいたしかゆしや花の顔〈重明〉」という句があります。『口真似草』は、梅盛編として明暦2年、すなわち1656年に刊行された俳諧(はいかい)の書物です。
この句では、雨と風が花に対してどちらも差し障りをもつものとして扱われています。雨だけでも花には重く、風だけでも花を傷めるため、「両方とも具合が悪い」という意味で「いたしかゆし」が用いられています。
この段階の用例は、今の「どちらを選んでも困る」という意味にかなり近いものです。ただし、現代のように社会生活の判断全般へ広く使うというより、雨風と花という具体的な景を通して、両方に差し障りがある状態を表しています。
その後、雑俳(ざっぱい)の世界にもこの言い方が出てきます。『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』二編(1767年・江戸時代中期、呉陵軒可有ほか編)には、「佐殿もいたしかゆしのふくみ状」という用例があります。
『誹風柳多留』は、江戸の川柳・雑俳を集めた代表的な本で、初編から多くの編にわたって刊行されました。この用例では、ある人物や書状をめぐって、一方を立てると他方に差し障りが出るような、扱いにくい状態を「いたしかゆし」と表しています。
このように、17世紀半ばの俳諧では「両方とも差し障りがある」意味で使われ、18世紀の雑俳では「一方を立てれば他方に支障がある」という意味がはっきり現れます。体の感覚を表す言葉が、人間関係や判断のむずかしさを表す言葉へ広がっていった流れが分かります。
表記については、古い用例では「いたしかゆし」とひらがなで示される形があり、現代では「痛し痒し」という漢字交じりの形が広く用いられます。また、「痛痒し」という見出しでも、同じ読みと意味が扱われています。
近代以降の文章では、実際の痛みやかゆみではなく、利害や判断が入り混じる状態をいう表現として使われます。宮本百合子(みやもとゆりこ)の「文学上の復古的提唱に対して」(1937年)にも、出版物を改版したい気持ちと、よく売れている事情とのあいだで「微妙な痛し痒し」を経験しているという用例が出てきます。
この近代の用例では、身体の不快感そのものではなく、「望ましい面」と「困った面」が同時にあるため判断しかねる状態が表されています。現在の「痛し痒し」も、このように、得もあれば損もあり、どちらを選んでもすっきりしない場面で使われます。
つまり「痛し痒し」は、かゆみと痛みという身近な感覚から出発し、江戸時代の俳諧・雑俳を通して、人間の判断や利害のむずかしさを表すことわざとして定着していった表現です。小さな体の感覚をもとにしながら、今では仕事、家庭、学校、社会生活のさまざまな迷いを表せる言葉になっています。
「痛し痒し」の使い方




「痛し痒し」の例文
- 値下げすれば客は増えるが利益が減り、店は痛し痒しの判断を迫られた。
- 部活動を増やせば練習は充実するが、勉強時間が減るので痛し痒しだ。
- 駅に近い家は便利だが家賃が高く、郊外の家は安いが通学に時間がかかって痛し痒しである。
- 友人に本当のことを言えば傷つけるかもしれず、黙っていれば誤解が深まり、痛し痒しの状況になった。
- 新しい機械を入れれば作業は早くなるが、費用が大きいため会社は痛し痒しの選択をしている。
- 雨が降れば水不足は助かるが、遠足は中止になるので、子どもたちには痛し痒しの天気だった。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・近藤いね子・高野フミ編『プログレッシブ和英中辞典 第4版』小学館、2011年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・梅盛編『口真似草』1656年。
・呉陵軒可有ほか編『誹風柳多留』1765〜1832年。
・宮本百合子『文学上の復古的提唱に対して』1937年。























