【ことわざ】
旱魃に飢饉なし
【読み方】
かんばつにききんなし
【意味】
日照りが続く年は、一部に干害があっても、全体としては大きな飢饉になりにくいということ。


【類義語】
・日照りに不作なし(ひでりにふさくなし)
・旱に不作無し(ひでりにふさくなし)
「旱魃に飢饉なし」の語源・由来
「旱魃」は、長い間雨が降らず、水が不足することを表します。「旱」はひでり、「魃」はひでりの神を意味する字で、「干魃」とも書かれます。
「飢饉」は、凶作などによって食べ物が足りなくなり、人々が飢えることを指します。飢饉の原因には、旱魃だけでなく、長雨、冷害、風水害、虫害などもあります。
このことわざは、中国の古い人物や出来事から生まれたものではなく、農業と天候に関する日本の経験から生まれた言い方です。雨が少ないと作物が枯れそうに思えますが、米作りでは日照の多さが実りを助ける場合がある、という見方が背景にあります。
同じ考えを表す言い方に「日照りに不作なし」があります。これは、日照りの年には干害もあるが、全体としては豊作になることを表すことわざです。
また、「旱に不作無し」という形も使われます。ここでいう「旱」は「ひでり」と読み、雨が降らず乾くことを表す漢字です。
日本の稲作では、水も大切ですが、夏の日照や気温も収穫に深く関わります。雨が多すぎる年には洪水や日照不足が起こり、米の実りに大きな影響を与えることがあります。
一方、日照りの年でも、雪解け水や灌漑の水を利用できる地域では、米がよく育つ場合があります。そのため、雨の少ない年は局地的に不作があっても、全体としては収穫が保たれやすいという見方が生まれました。
「旱魃に飢饉なし」は、この「日照りに不作なし」と同じ農業上の経験を、より強い言葉で言い表したものです。「不作」より重い「飢饉」という言葉を用いることで、日照りだからといって必ず大きな食糧不足になるわけではない、という考えを示しています。
ただし、このことわざは、どの地域でも旱魃が安全だという意味ではありません。干魃は本来、農業災害を起こす重要な原因であり、地域や時代、水利の状況によって被害の大きさは変わります。
現在このことわざを使うときは、「晴れが続く年は、思ったほど収穫が悪くならないことがある」という経験則として受け取るのがふさわしいでしょう。長雨や日照不足より、日照が多い年のほうが作物に良い場合があるという、農の知恵を伝えることわざです。
「旱魃に飢饉なし」の使い方




「旱魃に飢饉なし」の例文
- 祖父は、今年は雨が少ないが旱魃に飢饉なしで、日照の多さが稲の実りを助けるかもしれないと言った。
- 旱魃に飢饉なしとはいえ、用水路の水を切らさないよう農家は毎日田を見回った。
- 長雨で日照が足りない年を経験してから、父は旱魃に飢饉なしということわざの意味を実感した。
- 旱魃に飢饉なしという言葉は、雨が少ない年でも収穫が必ず悪くなるとは限らないことを教えている。
- 地域の農業講座では、旱魃に飢饉なしを例に、日照と米の収穫の関係を学んだ。
- 旱魃に飢饉なしと油断せず、村ではため池の水を大切に使いながら稲を育てた。
主な参考文献
・集英社辞典編集部編『会話で使えることわざ辞典』集英社、1989年。
・公益財団法人日本漢字能力検定協会『漢字ペディア』。
・小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館。
・平凡社『世界大百科事典』平凡社。
・小学館『デジタル大辞泉』小学館。























