【ことわざ】
感心上手の行い下手
【読み方】
かんしんじょうずのおこないべた
【意味】
他人の言動に感心するばかりで、自分では実行しないこと。また、そのような人。


【英語】
・be all talk and no action.(口では言うが実行しない)
・not practice what one preaches.(自分がよいと言うことを実行しない)
【類義語】
・理屈上手の行い下手(りくつじょうずのおこないべた)
・口自慢の仕事下手(くちじまんのしごとべた)
【対義語】
・言行一致(げんこういっち)
・知行合一(ちこうごういつ)
・不言実行(ふげんじっこう)
「感心上手の行い下手」の語源・由来
「感心上手の行い下手」は、中国の古い故事ではなく、日本の江戸時代後期に広く読まれた心学道話の流れを背景にもつことわざです。「感心」は、人の言動や立派な考えに心を動かされること、「行い」は実際に物事をすることを表します。
このことわざの芯にあるのは、よい話を聞いて深くうなずくことと、自分の生活の中でそれを実行することとは別だ、という見方です。感心するだけなら容易でも、それを毎日の行動に移すには、根気と自分を省みる力が必要になります。
由来として重く見られるのは、柴田鳩翁(しばたきゅうおう)の道話です。柴田鳩翁は1783年から1839年に生きた江戸後期の心学者で、京都の人であり、本名を亨といい、失明後も諸国を巡って心学を説きました。
心学は、江戸時代の庶民、とくに町人や農民に向けて、日々の暮らしの中で人としてどう生きるかを説いた学びです。石田梅岩を祖とする石門心学は、難しい学問をただ飾りにするのではなく、商い、家業、家庭、心の持ち方に結びつけて考えようとしました。
その教えを、身近なたとえや笑いを交えて分かりやすく語ったものが「道話」です。道話は、江戸時代に心学者が行った訓話で、卑近な例をあげて倫理や道徳を説く話を指します。
『鳩翁道話(きゅうおうどうわ)』は、柴田鳩翁の講話を筆録した心学書です。正編は1835年、天保6年に刊行され、続編、続々編も出され、平易な語り口で庶民に広く読まれました。
「感心上手の行い下手」に近い形は、『續鳩翁道話』に出てきます。そこには「感心上手のおこなひ下手、口ばかりの龍がしらで、尻のないにはこまつたものぢや」という言い方があり、口ではよいことに感心しても、実際の行いが伴わない人を戒めています。
ここでいう「龍がしらで、尻のない」は、頭だけ立派で、後ろまで続いていないもののたとえです。りっぱな言葉や感心した態度だけが前に出て、行動として最後までつながらないことを、分かりやすく皮肉っています。
この言い方は、心学の考え方とも深く合っています。心学は、よい教えを知るだけでなく、それを家業や暮らしの中で実践することを重んじました。したがって、「感心上手の行い下手」は、よい話を聞いて終わる人への軽いからかいであると同時に、学んだことを行動に移す大切さを説く言葉でもあります。
現在では、講演や授業、読書、友人の努力などに感心しても、自分では何もしない人を指して使われます。人のよさを認める心は大切ですが、それだけで満足せず、自分の一歩に変えてこそ意味がある、という教えを含むことわざです。
「感心上手の行い下手」の使い方




「感心上手の行い下手」の例文
- よい勉強法を聞いて感心するだけで机に向かわないなら、感心上手の行い下手だ。
- 健康の大切さを何度もほめているのに運動を始めない彼は、感心上手の行い下手になっている。
- 友人の努力を見て感心したなら、感心上手の行い下手で終わらず、自分も少しずつ始めたい。
- 会議で新しい取り組みに賛成するばかりで担当を引き受けないのは、感心上手の行い下手である。
- 本を読んで立派な考えに心を動かされても、生活を改めなければ感心上手の行い下手に過ぎない。
- 感心上手の行い下手にならないよう、よいと思ったことは今日の行動に一つ取り入れる。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・佐竹秀雄・武田勝昭・伊藤高雄編、北村孝一監修『故事俗信ことわざ大辞典 第二版』小学館、2012年。
・柴田鳩翁述『鳩翁道話』1835年。
・柴田鳩翁『続鳩翁道話』1835年序。
・藤井乙男編『諺語大辞典』有朋堂、1910年。























