【ことわざ】
昨日は嫁、今日は姑
【読み方】
きのうはよめ、きょうはしゅうとめ
【意味】
時の流れが非常に早く、人の境遇や立場が変わりやすいことのたとえ。


【英語】
・Time flies.(時は飛ぶように過ぎる)
【類義語】
・嫁が姑になる(よめがしゅうとめになる)
・光陰矢の如し(こういんやのごとし)
・歳月人を待たず(さいげつひとをまたず)
「昨日は嫁、今日は姑」の語源・由来
「昨日は嫁、今日は姑」は、若いころに嫁として家に入った人が、時を経て、今度は姑の立場になるという変化をもとにしたことわざです。時間の流れの早さと、人の立場の移り変わりを、家庭の中の役割の変化で表しています。
「昨日」と「今日」は、実際の一日だけを表す場合もありますが、このことわざでは、時間があっという間に過ぎることを強める働きをしています。すぐ近い過去である「昨日」と、今である「今日」を並べることで、変化の速さが印象づけられます。
「嫁」は、結婚したばかりの女性、また息子の妻を指す言葉です。昔の家族生活では、女性が婚家に入り、その家の一員として暮らすことが、「嫁」と結びついて考えられました。
「姑」は、夫または妻の母を指す言葉です。このことわざでは、かつて嫁であった人が、やがて息子夫婦を迎える側の立場になることを表しています。
この言い方の根にあるのは、「嫁に来たのはつい昨日のことのようなのに、もう姑になっている」という見方です。そこから、年月が早く過ぎること、人の老いやすいこと、人の境遇が変わりやすいことを表すようになっています。
このことわざは、中国古典の特定の人物や事件から生まれた故事ではなく、暮らしの経験から生まれた言い方です。家庭の中で、若い世代が年長の世代へ移っていく様子を見て、人生の早さをしみじみ感じる表現になっています。
家族関係を表す「舅姑」という言葉の解説には、男系相承の家族制のもとで、他家から入った妻と姑との関係が問題になりやすかったことが述べられています。このような家を単位とした暮らしの中で、「嫁」と「姑」は、人生の段階や家の中での立場を表す対の言葉として意識されやすかったのです。
近い形の用例として、『明治因果物語』(1919年・大正時代、堀内新泉著)には、「昨日の嫁は今日の姑」という題目が出てきます。現在の「昨日は嫁、今日は姑」と少し形は違いますが、「嫁」と「姑」を対にして、立場の移り変わりを表す発想は同じです。
また、「嫁が姑になる」という言い方もあります。こちらは、嫁として来たのがつい昨日のように思われるのに、もう姑になっているという意味で、時のたつ早さや人の老いやすさを表します。
「昨日は嫁、今日は姑」は、その考えをさらに短く、対句の形に整えた表現です。「昨日」と「今日」、「嫁」と「姑」を対応させることで、時間と立場の変化を一目で分かるようにしています。
現在では、実際の嫁姑関係だけでなく、広く人の立場が変わることにも用いられます。たとえば、教えられる側だった人が教える側になる、世話を受ける側だった人が世話をする側になる、といった場面にも当てはまります。
このことわざには、時間は止まらず、人の役割もいつの間にか変わっていくという教えがあります。過ぎる時間を惜しむ気持ちと、今の立場を大切にしようとする気持ちの両方を含んだことわざです。
「昨日は嫁、今日は姑」の使い方




「昨日は嫁、今日は姑」の例文
- 入社したばかりの新人だった人が後輩を指導する立場になり、昨日は嫁、今日は姑という言葉を思い出した。
- 子どものころ世話をされていた娘が、今では親の介護をしており、昨日は嫁、今日は姑の感がある。
- 新入部員だったころが昨日のようなのに、今は部長として後輩をまとめるとは、昨日は嫁、今日は姑である。
- 若い保護者として学校行事に参加していた人が、今では地域の世話役となり、昨日は嫁、今日は姑を実感している。
- 初めて仕事を教わった日から十年が過ぎ、今は新人を教える側になったのだから、昨日は嫁、今日は姑とはよく言ったものだ。
- 昨日は嫁、今日は姑というように、人の立場は時の流れとともに思いがけず変わっていく。
主な参考文献
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・佐竹秀雄・武田勝昭・伊藤高雄編、北村孝一監修『故事俗信ことわざ大辞典 第二版』小学館、2012年。
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・堀内新泉『明治因果物語』止善堂書店、1919年。
・Cambridge University Press & Assessment『Cambridge Dictionary.』























