【故事成語】
既往は咎めず
【読み方】
きおうはとがめず
【意味】
過ぎ去ったことを今さらとがめ立てしてもしかたがなく、むしろ将来を慎むことが大切だということ。


【英語】
・Let bygones be bygones.(過ぎたことは過ぎたこととして水に流せ)
【類義語】
・水に流す(みずにながす)
「既往は咎めず」の故事
「既往は咎めず」は、『論語(ろんご)』「八佾(はちいつ)」に出てくる「既往不咎」を読み下した言葉です。『論語』は、孔子とその門弟との問答や言行を記録した儒教の根本文献で、二十編から成ります。
『論語』の成立については、一人の著者が一度に書いたものではなく、孔子の弟子たちが伝えた言行録をもとに、のちの時代に整理されたものと考えられています。漢代までに本文が選択整理され、長く儒教の大切な経典として読まれてきました。
この言葉が出てくる場面では、哀公(あいこう)が孔子の弟子である宰我(さいが)に「社」についてたずねます。「社」は、中国古代で土地の神、またはそれをまつる場所を指す言葉です。
宰我は、夏の時代には松を用い、殷の時代には柏を用い、周の時代には栗を用いたと答えます。さらに、周が栗を用いたのは、民を「戦栗」させるためだという趣旨のことを述べます。
「栗」と「戦栗」の音を結びつけた説明は、相手に恐れを抱かせるという意味を含む、行き過ぎた答えでした。孔子はその話を聞き、「成事不説、遂事不諫、既往不咎」と述べます。
この三つの句は、すでに成ったことはあれこれ言わず、すでに進んでしまったことは諫めず、すでに過ぎ去ったことは咎めない、という意味です。ここでの「既往」は過去のこと、「咎めず」は責めないことを意味します。
孔子の言葉は、宰我の失言をただ許しただけのものではありません。言ってしまったことは取り返せないため、それ以上責め立てるよりも、これから慎むように促す言葉として受け取られています。
この故事では、過去の失敗を忘れてよいというより、過去を責め続けても前には進まない、という考えが大切です。すでに起きたことを教訓にし、将来の行いを正すところに、この言葉の重みがあります。
日本語では、「既往は咎めず」という読み下しの形で、過去の失敗をいつまでも責めず、今後を慎むという戒めとして用いられるようになりました。また、四字の形では「既往不咎」とも用いられます。
現在でも、謝罪や反省がすみ、これからどうするかを考える場面で使われます。ただし、重大な過ちを何もなかったことにする言葉ではなく、責任を認めたうえで、将来の改善へ向かうための故事成語です。
「既往は咎めず」の使い方




「既往は咎めず」の例文
- 会議では既往は咎めずとして、今後の連絡方法を見直すことにした。
- 友人が心から謝ったので、既往は咎めず、これからの約束を大切にすることにした。
- 監督は既往は咎めずと言い、失敗した選手に次の練習での改善点を伝えた。
- 既往は咎めずとはいえ、同じ過ちを繰り返さないための反省は必要だ。
- 兄弟げんかのあと、母は既往は咎めずの気持ちで、二人に仲直りを促した。
- 新しい体制では既往は咎めず、過去の混乱よりもこれからの協力を重んじる方針を取った。
主な参考文献
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・松村明監修、小学館大辞泉編集部編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・『論語』。























