【故事成語】
斧を研いで針にする
【読み方】
おのをといではりにする
【意味】
どれほど困難なことでも、根気よく努力を続ければ、ついには成し遂げられるというたとえ。


【英語】
・Where there’s a will, there’s a way(強い意志があれば、困難なことにも道は開ける)
【類義語】
・鉄杵を磨く(てっしょをみがく)
・雨垂れ石を穿つ(あまだれいしをうがつ)
【対義語】
・三日坊主(みっかぼうず)
「斧を研いで針にする」の故事
「斧を研いで針にする」のもとには、中国の詩人・李白にまつわる「鉄杵を磨いて針にする」という伝説があります。「鉄杵(てっしょ)」とは、米や薬などをつくために使う、鉄製の棒状の道具です。日本では、この鉄杵が斧に置き換えられて伝わりました。
現存する文字資料の古い例は、『錦繡萬花谷續集』(1188年・南宋、編者不詳)巻十一の「老媼磨杵」にあります。李白が山中で学んでいたものの、学業を終えないまま途中で投げ出し、立ち去ったところから話が始まります。
李白が小川のそばを通ると、老媼(ろうおう:年老いた女性)が鉄杵を一心に磨いていました。何をしているのかと尋ねると、老媼は「欲作針」、つまり「針を作ろうとしている」と答えます。その根気に心を動かされた李白は引き返し、再び学問に励んで、学業を修めました。
南宋の祝穆が著した『方輿勝覧』(1239年)巻五十三にも、ほぼ同じ話が「磨鍼溪」の名で記されています。そこには、象耳山のふもとの小川で、李白が鉄杵を磨く老媼に出会い、その志に感動して学業へ戻ったとあります。後世には、こちらの記述が広く引用され、「磨杵成針」や「鉄杵を磨く」という表現へとまとまっていきました。
元代に虞韶が編んだ『日記故事』では、山や小川など、土地に関する説明が省かれ、李白が老媼の姿から根気の大切さを学ぶ話として独立しました。明代の『日記故事大全』には「工夫深、鐵杵磨成鍼」と添えられ、努力を深く重ねれば鉄の杵も針になるという教えが、分かりやすい言葉で広まりました。
ただし、この話は李白と同じ時代の文献や、新旧の『唐書』には記されていません。そのため、李白の実際の体験というよりも、努力の尊さを伝えるために、後世に李白と結び付けられた伝説と考えられます。文字に記された形は、南宋時代にはすでに整っていました。
日本では、この伝説が土地の伝承と結び付き、鉄杵の代わりに斧を用いる話へと変わりました。貝原益軒が編纂に関わった『筑前国続風土記(ちくぜんのくにぞくふどき)』(1703年・江戸時代前期)には、学問に挫折して故郷へ帰ろうとした人が、近江国の磨針嶺で、斧を石に当てて研ぐ人に出会う話があります。
その箇所には、「或人斧を石にてとく者あり。何のためそととへは、針にする也と答ふ」とあります。斧を研ぐ人が「針にするのだ」と答えたため、学問を諦めかけていた人は、自分の志の弱さを恥じて都へ戻り、ついには博士になったという内容です。
同じ書物には、菅原道真が、斧を石で研いで針を作ろうとする老人を見て、努力を続ける大切さを悟ったという筑前地方の伝承も収められています。また、近江国の摺針峠(すりはりとうげ)には、後に弘法大師空海と結び付けられた伝承も広まりました。中国の話が日本へ伝わり、それぞれの土地の名高い人物や遺跡と結び付いていったのです。
大正13年には、『日本語読本』第四学年下巻にも李白の話が載り、針を作る材料は、中国の鉄杵ではなく鉄斧になっていました。こうした伝わり方を背景に、日本語では「斧を研いで針にする」や「斧を針にする」という形が定着しました。
斧と針とでは、大きさも形も大きく異なります。その隔たりが大きいほど、針に仕上げるまでに必要な時間と忍耐も、強く印象付けられます。この故事成語は、成果がすぐに現れなくても、志を失わず、努力を積み重ねることの大切さを教えています。
「斧を研いで針にする」の使い方




「斧を研いで針にする」の例文
- 斧を研いで針にするような努力を重ね、彼は苦手だった泳ぎを身につけた。
- 姉は斧を研いで針にする覚悟で、毎朝欠かさず英単語を覚えた。
- 祖父は斧を研いで針にすることを信条とし、何年もかけて荒れた畑をよみがえらせた。
- 斧を研いで針にするほどの根気がなければ、この細かな修復作業は完成しない。
- 研究者たちは斧を研いで針にする思いで実験を繰り返し、ようやく原因を突き止めた。
- 町の人々は斧を研いで針にするように活動を続け、長年の願いだった図書館を実現させた。
主な参考文献
・現代言語研究会著『日本語を使いさばく 故事ことわざの辞典』あすとろ出版、2007年。
・円満字二郎編『故事成語を知る辞典』小学館、2018年。
・李慶國「越境與傳播―試比較中日『磨針』傳說之異同―」『追手門学院大学人文学紀要』第3号、2025年。
・『錦繡萬花谷續集』1188年。
・祝穆『方輿勝覧』1239年。
・貝原篤信選定・貝原好古編録・竹田定直校正『筑前国続風土記』1703年。























