【ことわざ】
兄弟は他人の始まり
【読み方】
きょうだいはたにんのはじまり
【意味】
兄弟姉妹も、成長してそれぞれの家庭を持つと、結婚や利害関係などによって情が薄れ、しだいに他人のように疎遠になるということ。


【類義語】
・兄弟は他人の別れ(きょうだいはたにんのわかれ)
【対義語】
・血は水よりも濃い(ちはみずよりもこい)
「兄弟は他人の始まり」の語源・由来
「兄弟は他人の始まり」は、同じ家で育った兄弟姉妹も、成長して独立し、それぞれが家庭を築けば、生活や利害が分かれていくという人間関係の変化から生まれたことわざです。「始まり」は、兄弟が初めから他人同然だという意味ではなく、別々の人生を歩み始めるにつれて、他人のように遠い関係へと変わることがあるという含みをもっています。
早い時期の収録例の一つは、『毛吹草(けふきぐさ)』(1645年・江戸時代前期、松江重頼編)にあります。この書物は、俳諧(はいかい)の作法や季節の言葉、各地の名産、世間で使われていた言い回しなどを集めた全七巻五冊の書物で、序文には1638年の日付が記されています。巻二には、「世話付古語」と呼ばれる当時の俗語やことわざが収められており、その中に「兄弟ハ他人ノ始」という形が載っています。
ここでは、現在の「始まり」ではなく、「始」と記されています。また、文章の一部ではなく、世間に伝わる短い言い回しとして掲げられているため、江戸時代前期には、すでにことわざとして知られていたことが分かります。『毛吹草』は広く読まれ、版を重ねたため、このような世間の言葉を後代へ伝える役割も果たしました。
文章中に見られる古い用例としては、『悔草(くやみぐさ)』(1647年・江戸時代前期、井上小左衛門著)上巻に、「人の嘲兄弟は、他人の初めといはれし後悔」とあります。「兄弟は他人の初め」と人に言われるような関係になったことへの後悔を述べた一節で、この段階では、「始め」と同じ意味を表す「初め」の字が用いられています。
『悔草』は、人としての生き方や日々の身の処し方を、身近なたとえや和漢の説話を交えて説いた教訓的な書物です。この一節に「兄弟は他人の初めといはれし」と書かれていることからも、作者が新しく作った表現ではなく、当時すでに人々の間で通用していた言い回しとして使われていたことがうかがえます。
江戸時代後期になると、『浮世風呂(うきよぶろ)』(1809〜1813年・江戸時代後期、式亭三馬著)第二編に、「兄弟他人のはじまりとは能云ったもんで」とあります。『浮世風呂』は、銭湯に集まる江戸の人々の会話を通して、庶民の暮らしや世相を描いた滑稽本(こっけいぼん)です。ここでは、現在と同じ「はじまり」の形が、日常会話の中で当然のように使われています。
このように、江戸時代前期には「兄弟ハ他人ノ始」「兄弟は他人の初め」という形があり、江戸時代後期には「兄弟他人のはじまり」という現在に近い言い方が使われています。「始」「初め」「はじまり」と、表記や形を変えながらも、兄弟姉妹が独立後に疎遠になりやすいという意味の中核は、変わらず受け継がれてきました。
このことわざは、すべての兄弟姉妹が必ず不仲になると断定するものではありません。幼いころは生活を共にしていても、結婚や仕事によって住む場所や守るべき家庭が別になれば、考え方や利害にも違いが生じやすいという世の中の一面を表しています。身近な血縁であっても、関係を保つには互いの事情を理解し、心を通わせることが大切だと気づかせる言葉でもあります。
「兄弟は他人の始まり」の使い方




「兄弟は他人の始まり」の例文
- 幼いころはいつも一緒だった二人も、それぞれ家庭を持ってから疎遠になり、兄弟は他人の始まりという言葉を思わせた。
- 父の遺産をめぐって兄と弟が争う姿に、親族は兄弟は他人の始まりとはこのことかと嘆いた。
- 親の介護を誰が担うかで姉妹の意見が対立し、兄弟は他人の始まりという現実が表れた。
- 結婚後は互いの家族を優先するようになり、兄弟は他人の始まりというほど連絡を取らなくなった。
- 同じ店で働いていた兄弟は、経営方針の違いから別々の道を選び、兄弟は他人の始まりを地で行くことになった。
- 祖母は、兄弟は他人の始まりにならないよう、離れて暮らしても互いを思いやりなさいと孫たちに語った。
主な参考文献
・日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『日本国語大辞典 第二版』小学館、2000〜2002年。
・北村孝一編『ことわざを知る辞典』小学館、2018年。
・松江重頼編『毛吹草』1645年。
・井上小左衛門『悔草』1647年。
・式亭三馬『浮世風呂』1809〜1813年。























