「河清を俟つ」の意味(出典・語源由来・類義語)
【ことわざ】
河清を俟つ
かせいをまつ
【意味】
実現する見込みのないことを待つこと。いつまで待っても無駄であること。
つまり、これは「無理なことを期待するのは、やめといた方がええ」って教えてくれる言葉なんやな。何かがうまくいくことを待ってても、それが絶対に無理なことなら、他にやることを見つけた方がいいんやろうな。
【出典】
「春秋左伝」襄公八年から
【語源・由来】
常に黄土で濁っている黄河が澄むのを待つ意から。
【類義語】
・百年黄河の澄むを待つ
「河清を俟つ」の解説
「河清を俟つ」っていうことわざはね、昔の中国の本からきているんだよ。これは、大きな川である黄河の水がきれいになるのをずっと待っているような感じで、本当には起こりそうもないことを表しているんだ。
黄河っていうのはすごく大きな川で、その水がすぐに澄むなんてことはないんだよ。だから、このことわざは、いくら待っても起こらないこと、無理なことを言いたいときに使うんだ。
例えば、宿題が自分で勝手にやってくれるなんてことを言う時、それは「河清を俟つ」っていうぐらい無理な話だよね。
この言葉を使うと、本当に無理なこと、夢物語みたいなことを言いたいときに、その感じをうまく表現できるんだ。だから、夢のようなことを考えたり、友達と冗談を言い合う時に、このことわざを思い出してみてね!
「河清を俟つ」の使い方
「河清を俟つ」の例文
- 政治家がこの国を美しい国にするのを待つのは、河清を俟つのと同じだ。
- ロックミュージシャンの息子が「売れてBIGになったら家を買ってあげる」というが、河清を俟つに等しいだろう。気持ちはありがたいのだが。
- 他人を当てにしては河清を俟つのと同じだ。自分で動かないといけない。
- 薬の完成を期待していても河清を俟つようなものなので、自分自身の免疫力を上げてウィルスと闘うしかない。
- 「今はやる気を出していないだけだ。いつかやる」という人の言葉を信じてはいけない。河清を俟つというやつだ。
黄河の水は非常に濁っているため、これが澄むことはありえない。だから、このことわざはいつまで待っても実現しないことのたとえなんだよ。