【故事成語】
冠履を貴んで頭足を忘る
【読み方】
かんりをとうとんでとうそくをわする
【意味】
根本を忘れて、末節のことにこだわること。大切な本質を軽んじ、表面の形や細かな部分ばかり重んじるたとえ。


【英語】
・not see the forest for the trees.(細部に気を取られて全体を見失う)
【類義語】
・本末転倒(ほんまつてんとう)
・木を見て森を見ず(きをみてもりをみず)
【対義語】
・大所高所(たいしょこうしょ)
・本立ちて道生ず(もとたちてみちしょうず)
「冠履を貴んで頭足を忘る」の故事
「冠履を貴んで頭足を忘る」は、中国・前漢の思想書『淮南子(えなんじ)』に出てくる言葉にもとづく故事成語です。『淮南子』は、前漢の淮南王であった劉安が編纂させた二十一編の書物で、道家思想を土台にしながら、政治、社会、治乱興亡などを広く論じています。
この言葉が出てくるのは、『淮南子』「泰族訓」です。そこでは、政治を行うときに何を根本とし、何を末節とするべきかが、たとえを重ねながら述べられています。
「泰族訓」では、治世の根本は仁義であり、法度はそれを助けるものだと説かれます。つまり、きまりや制度は大切ですが、それだけが先に立つと、人を正しく治めるための本来の心が見失われる、という考えです。
その流れの中に、「今重法而棄義,是貴其冠履而忘其頭足也」とあります。これは、いま法を重んじて義を捨てるのは、冠や履物を大切にして、そのもとである頭や足を忘れるようなものだ、という意味です。
冠は頭にかぶるものであり、履物は足にはくものです。どちらも必要な道具ですが、頭や足があってこそ意味をもち、道具だけを大切にして身体そのものを忘れるのは、順序を取り違えています。
『淮南子』の本文では、このたとえの前に、根を捨てて枝に水をそそぐようなものだ、という別のたとえも出てきます。根が弱ければ枝葉は長く保てないように、政治や物事にも、先に養うべき根本があると述べています。
ここでいう「冠履」は、単なる衣服の一部ではありません。上にある冠と下にある履物を合わせて、物事の位置、役割、順序を考えさせる表現として用いられています。
ただし、この故事成語の要点は、上下の身分を説くことではありません。もとの文脈では、仁義という根本を忘れて、法という手段だけを重んじる危うさを戒めています。
そのため、現在の日本語では、目的より手段を重く見ること、内容より見た目を重く見ること、基本より細部にこだわることを批判する場合に使われます。たとえば、学ぶ力を育てるための試験が、点数を取るためだけの作業になってしまうような場合に、この言葉がよく当てはまります。
「冠履を貴んで頭足を忘る」は、形を整えること自体を否定する言葉ではありません。形や制度を大切にしながらも、それが何のためにあるのかという根本を忘れてはならない、と教える言葉です。
「冠履を貴んで頭足を忘る」の使い方




「冠履を貴んで頭足を忘る」の例文
- 発表用の飾りばかりに時間を使い、調べた内容が浅いままでは、冠履を貴んで頭足を忘るだ。
- 会社の規則を守らせることだけに夢中になり、働く人の安全を軽んじるのは、冠履を貴んで頭足を忘るに近い。
- 料理の盛りつけにこだわって味つけを忘れるようでは、冠履を貴んで頭足を忘ると言われても仕方がない。
- 勉強の目的を忘れて点数を取る裏技ばかり探すのは、冠履を貴んで頭足を忘るというものだ。
- 家計を節約するつもりで安い物を買い続け、すぐ壊れて買い直すなら、冠履を貴んで頭足を忘るになってしまう。
- 地域行事で形式だけを整え、参加する人の気持ちを置き去りにするのは、冠履を貴んで頭足を忘るの典型だ。
主な参考文献
・小学館国語辞典編集部編『精選版 日本国語大辞典』小学館、2005〜2006年。
・松村明編『大辞泉 第二版』小学館、2012年。
・白川静『字通』平凡社、1996年。
・公益財団法人日本漢字能力検定協会『漢字ペディア』。
・劉安編『淮南子』前漢。
・何寧撰『淮南子集釈』中華書局、1998年。























