「か行」の故事成語一覧
会稽の恥(かいけいのはじ)
戦いや勝負ごとに負け、恥や屈辱を受けること。また、己の名誉に対する侮辱を受けること。
【故事】
元々は中国の故事であり、『史記』という書物に記されている。中国の春秋時代後期に越の王として天下を取り、後に春秋五覇の一人として名が挙がった勾践が天下を取る以前の話が元になっている。呉の王・夫差と会稽山という中国の紹興市南部にある山で戦うも敗れ、夫差から様々な屈辱を与えられる。その時の苦しくも悔しい想いを“会稽に恥”と勾践が表現したことから転じてきている。
学問に近道無し(がくもんにちかみちなし)
学問を修めるためには、一つ一つの基礎を積み重ねて学んでこそ初めて習得するものであり、裏技は存在しないという意味。
【故事】
「学問に近道なし」には数多くの説がある。最も有力的な説は2つあり、1つ目は「幾何学の父」と称された古代ギリシャの数学及び天文学者のユーグリット(希:エウクレイデス)説である。ユーグリットはエジプトの王・プレイマイオス1世(英:トレミー)に幾何学を教えていたところ、王が「もっと簡単で楽に学べる方法はないのか?」と彼に尋ねたら、「幾何学に王道なし」と言ったという説。2つ目は、数学史上初の円錐曲線を作図したとして有名な古代ギリシャの数学者メナイクモスが、弟子であるマケドニアの王・アレクサンドロス3世(アレクサンダー大王)に「もっと簡単に幾何学を学べる方法はないのか?」と尋ねられた問いに対し「幾何学に王道なし」と言ったという説である。
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)
目的を達成するために機会を待ち、苦労を耐え忍ぶこと。
【故事】
薪の中に寝て、苦い胆を嘗めることの意味。春秋時代、呉王夫差は、父の仇を忘れないために、薪の上で寝ることにより自分自身を苦しめ、その屈辱と志を忘れないようにして、越王勾践を破った。また、敗れた勾践も苦い獣の胆をなめることにより、その復讐心を忘れないようにして、その後、見事に呉王夫差を打ち破った。
苛政は虎よりも猛し(かせいはとらよりもたけし)
民衆を苦しめる政治は、性質が荒く乱暴な虎よりも恐ろしいという意味。
【故事】
元々は『礼記』という書物に記された中国の故事である。孔子は中国の山東省泰安市にある泰山を歩いていると、一人の女性が墓の前で泣き崩れているところ見かける。孔子は女性に涙の分けを聞くと、女性は家族を虎に殺されたという。孔子はそのような危険な土地から去るように勧めるが、女性は「別のとこでひどい政治に苦しめられるよりもここにいる方が何倍も良い」と答えたという。
火中の栗を拾う(かちゅうのくりをひろう)
自分ではなく他人の利益のために、そそのかされ危険をおかし、酷い目にあうことのたとえ。
【故事】
火中の栗を拾うの語源になったといわれているのが、十七世紀のフランスの詩人ラ・フォンテーヌによるフランスの寓話「猿と猫」(Le singe et le chat)。『イソップ物語』をもとにした童話だといわれている。内容としては、一匹の猿と猫が暖炉の前で栗が焼けるのを見ていた。猿は猫をそそのかし、猫に暖炉の中の栗を取らせた。猫はひどい火傷を負った上に、火傷をしながら取った栗は猿に食べられてしまったという猫が踏んだり蹴ったりな話。
画竜点睛(がりょうてんせい)
事を完成するために、最後に加える大切な仕上げのたとえ。また、物事の最も肝要なところのたとえ。
【故事】
梁の画家である張僧ヨウが、金陵の安楽寺の壁に四頭の竜の絵を描いたが、「ひとみを描けば竜が飛び去ってしまう」と言い、ひとみは描きこまなかった。人々は、でたらめだといい、無理やりにひとみを描かせた。すると、たちまちいなずまが壁を突き破り、ひとみを描いた二頭の竜は天に昇っていってしまった。ひとみを描きこまなかった二頭は、そのまま残っていたという話から。
邯鄲の夢(かんたんのゆめ)
人の世や、人生の栄枯盛衰ははかないというたとえ。
【故事】
中国、趙の都・邯鄲で、盧生という貧しい若者が宿で呂翁という道士から不思議な枕を借りて寝た。すると、出世して50年余りの栄華を極めて一生を終えるという体験をした。しかし、目が覚めてみると宿の主人が炊いていた粟もまだ煮え切らないほどの、短い時間だったということから。
管鮑の交わり(かんぽうのまじわり)
お互いのことを理解して、信頼しあうこと。利害のあるなしに関わらず、親密な交際のたとえ。
【故事】
「晋書」王敦管鮑は、中国春秋時代の斉の、管仲と鮑叔のこと。若い時から二人はとても仲が良く、管仲が貧しかったときには鮑叔は援助を惜しまなかった。そればかりではなく、管仲を斉の宰相に推薦した。管仲は「我を生みし者は父母、我を知る者は鮑叔なり」と、鮑叔を称賛した。二人の親交は、終生変わることなく続けられたと故事にあることに基づく。
間髪をいれず(かんはつをいれず)
事が差し迫っている状況、また、間をおかずに直ちにするたとえ。
【故事】
髪の毛一本入れる余地もないことから。前漢の時、呉王・劉濞(りゅうひ)が漢に恨みを持ち謀反を起こそうとした。すると、郎中の枚乗(ばいじょう)がそれを諌めてこう言った。「王の行為は、糸に千鈞もの重りをつけ、際限なく高いところから計り知れないほどに深い淵に吊り下げるようなものです。一旦糸が切れてしまうと二度と出られないでしょう。出ようにも、【その隙間は髪の毛一本も入らないほどです】」(『説苑』正諌より)
疑心暗鬼(ぎしんあんき)
心に疑いを抱いていると、なんでもないことまで疑わしく不安に思えてくること。疑いがつのり何でもないことにおびえるようす。疑いの心が膨れ上がると、何でもないことにも不安や恐れを抱くものである。
【故事】
「疑心暗鬼」は中国の春秋戦国時代に書かれた『列子』という書物にある話が元となってできた故事成語です。『列子』という道家(道教)の本にあるお話です。ある人が斧をなくしてしまいました。隣の息子が盗んだのじゃないかと疑います。きっとそうだ。あの歩き方、あの顔色、あのしゃべり方、あの態度…どれもこれも斧を盗んだ人間のものだ。ところがふと気がついて窪地を掘ってみるとそこから斧が出てくるではありませんか。その後その隣の息子をまた見てみると動作も態度も斧を盗んだ人間の様子には見えなかったといいます。
木によりて魚を求む(きによりてうおをもとむ)
物事の不調和なこと。条理の通らないことにいう。
【故事】
『孟子』『梁恵王・上』の「土地僻き秦楚を朝せしめ、中国に莅んで四夷を撫せんと欲するなり。若き為す所を以て若き欲することろを求むるは、猶お木に縁りて魚を求むるがごときなり」 から。
杞憂(きゆう)
心配しなくてもよいことを、むやみに心配すること。取り越し苦労。「憂」は心配する意味。
【故事】
昔、中国の杞(き)の国の人が天地が崩れ落ちてきたらどうしようと心配して、夜も寝られず、食事もしなかったという故事による。「列子」より。
牛耳を執る(ぎゅうじをとる)
ある団体や組織などの主導権を握る。
【故事】
「左伝哀公十七年」にある故事から。諸侯が同盟を結ぶ儀式で、盟主が牛の耳を割いて血を採り、これを順番にすすったということから。
窮鼠猫を噛む(きゅうそねこをかむ)
追いつめられた鼠は猫に食いつく。絶対絶命の窮地に追い詰められて必死になれば弱者も強者を破ることがある。
【故事】
中国前漢時代の討論会(塩鉄会議)の記録を、政治家・学者の桓寛が60篇にまとめた書物『塩鉄論・詔聖』より。「死して再びは生きずとなれば、窮鼠も狸(野猫)を噛む(死に物狂いになった鼠は猫を噛むこともある)」という記述から。
玉石混淆(ぎょくせきこんこう)
優れたものと、劣ったものが混じっていること。
【故事】
晋(しん)の国の葛洪(かっこう)という人が「近ごろは大人物があらわれず、真と偽が逆になり、宝石と石とが入り混じって本当 になげかわしい。」と批判(ひはん)したことからこの語ができた。(抱朴子 ほうぼくし)
漁夫の利(ぎょふのり)
双方が争っているすきにつけこんで、第三者が利益を横取りすること。
【故事】
『戦国策』から。
シギとハマグリが争っているところに、通りかかった猟師が、簡単に両方ともとらえたという中国の故事から。
鶏口となるも牛後となるなかれ(けいこうとなるもぎゅうごとなるなかれ)
鶏の口になっても牛の尻にはなるなということで、大きな集団の中の下にいるよりも、小さな集団の先頭に立てといういましめ。人に従属するよりも独立したほうがよいとするたとえ。
【故事】
「史記(しき)」蘇秦(そしん)戦国時代に、六国「韓(かん)・魏(ぎ)・趙(ちょう)・燕(えん)・楚(そ)・斉(せい)」が合従(がっしょう)して、大国秦(しん)に対抗すべきだと主張した蘇秦は、韓の宣王に「小国であっても、一国の王として権威を保つべきである。秦に屈服してその家臣に成り下がってはいけない。」と、説いたということに基づく。
株を守りて兎を待つ(かぶをまもりてうさぎをまつ)
偶然うまくいったことに味をしめて、同じようにしてもう一度成功しようとするたとえ。時勢が移り変わっていることを知らずに、かたくなに旧を守ることのたとえ。融通がきかないこと。
【故事】
中国戦国時代の法家である韓非の著書『韓非子』 から。
宋の農夫が畑を耕していると、近くにあった木の切り株に一匹のウサギが走って来てぶつかり死んだ。苦労もなくウサギを手に入れた彼は、それ以来、農作業をやめ、またウサギがぶつかるのを待って切り株を見守ったが、ウサギは手に入らず、国中の笑い者になったという故事から。
蛍雪の功(けいせつのこう)
蛍(ほたる)の光や雪明かりによって勉強することで、苦労して学問に励むという意味。
【故事】
「晋書」より。貧しくて灯火用の油が買えないため、車胤は蛍を集めた光で、孫康は窓辺の雪明かりで読書したという中国の故事から。
逆鱗に触れる(げきりんにふれる)
目上の人を激しく怒らせてしまうこと。
【故事】
「逆鱗(げきりん)」とは、竜のあごの下に逆さに生えた鱗(うろこ)のこと。人がその鱗に触れると、竜が必ず怒ってその人を殺してしまうという伝説があった。「韓非子(かんぴし)」税難(ぜいなん)より。「その喉下に逆鱗径尺なる有り、若し人これにふるる者あらば、則ち必ず人を殺さん。人主も亦た逆鱗有り、説く者は能く人主の逆鱗にふるること無くんば、則ち幾からん」(君主にも逆鱗というものがあるので、君主に意見を述べるときには、その逆鱗に触れないように気を付けることが大切だ)と説いたことから由来している。
月下氷人(げっかひょうじん)
仲人。媒酌人。縁を取り持つ人。
【故事】
「月下」は、党の韋固が月明かりの下であった老人の予言通りの女性と結ばれた故事。「氷人」は、東晋の令孤策が氷の下の人と話した夢を「結婚の仲立ちをする前触れだ」と占われ、その通りになった故事から。「月下老人」と「氷人」の二つの故事を踏まえた合成語。
捲土重来(けんどちょうらい)
一度敗れた者が、再び勢いを取り戻して巻き返すこと。
【故事】
唐の詩人杜牧が、漢の劉邦に敗れた楚の項羽の死を惜しんで、「江東の子弟才俊多し、捲土重来未だ知るべからず」と詠んだ詩から。江東の子弟には優れた人材が多い。再び兵を起こし、土を捲く勢いで来たならば勝敗はどうなったかわからないのに、という意味。
呉越同舟(ごえつどうしゅう)
敵同士が、同じ場所に居合わせたり。協力したりすること。
【故事】
春秋時代、敵同士の呉と越の人でも、乗り合わせた舟が嵐で転覆しそうになれば互いに協力し合うだろうという孫子の言葉からきている。
五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)
少しの違いはあることはあるが、本質的には同じことだという。
【故事】
「孟子・梁恵王上」から。50歩退却した兵が100歩逃げた兵を臆病だと笑ったが、逃げた点では同じだから笑う資格はない、というたとえ話から。
虎穴に入らずんば虎児を得ず(こけつにいらずんばこじをえず)
虎の子を捕らえるには虎のいる洞穴に入らなければならないように、危険を冒さなければ大きな利益や成功は得られないということ。
【故事】
漢(かん)の国の武将の班超(はんちょう)が軍を率いて西域(せいいき)に送られた。西域の国では手厚く接待されていた のに、ある日を境に冷たくされるようになった。調べてみると、漢(かん)の国の敵である北方の匈奴(きょうど)の国の使者が来ているためとわかった。班超(はんちょう)は、「虎の穴に入らなければ、虎の子をとらえることはでない。」といって部下を励まし、匈奴(きょうど)の軍の中に突撃(とつげき)をし、全滅(ぜんめつ)させたことから、この語ができた。(後漢書)
五里霧中(ごりむちゅう)
物事の状況や手掛かりがつかめず、判断に迷うこと。事情がわからない中、手探りで行動すること。
【故事】
後漢の張楷という道士が、五里四方を霧で閉ざす「五里霧」という仙術を使った故事から。後漢(ごかん)の時代に張楷(ちょうかい)という人がいた。張楷(ちょうかい)という人は五里四方(ごりしほう)にわたる霧(きり)をおこす術を知っていた。世間に出るのをいやがる張楷(ちょうかい)は集まってくる人に会いたくないときには、この術を使って姿をかくしたという。もともとは、自分の姿をかくすものであったが、現在の意味のようにつかわれるようになった。(後漢書)
コロンブスの卵(ころんぶすのたまご)
一見簡単そうなことでも、初めて行うのは難しいという例え。どんなに素晴らしいアイデアや発見も、ひとたび衆目に触れた後には非常に単純あるいは簡単に見えることを指す成句である。
【故事】
アメリカ大陸の発見はだれでもできることだと批判する人々に対して、コロンブスは卵を立てることを試みさせ、だれにもできないのを見て、卵の尻をつぶして立ててみせたという逸話から。