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【故事成語100選】有名な故事成語一覧と意味付き

故事成語

「た行」の故事成語一覧

大器晩成(たいきばんせい)

偉大な人物は、大成するまでに時間がかかること。

【故事】
崔林(さいりん)はあまり目立たず、人々からはおろか者と言われていた。しかし、いとこの崔えん(さいえん)という人だけは、「大きな鐘は、そうそう、やすやすとはできない。大きな才能もそれと同じで完成までに年月がかかる。」と言った。崔林は成人すると、その才能をりっぱに開かせ、地位の高い人物になった。(老子)


太公望(たいこうぼう)

魚釣りをする人。釣り好きな人。

【故事】
呂尚(りょしょう)という人物の号。「太公」とは、祖父のこと。周の文王が狩りに出かけたとき、渭水で釣りをしていた呂尚に出会い、「わが太公(祖父)が待ち望んでいた人物である」として見出され、太公望と名付けられた。これにより、釣りをする人のことを意味するようになる。【出典】史記[斉太公世家]


大同小異(だいどうしょうい)

細かい違いがあるが、ほぼ同じであること。

【故事】
「大同小異」の故事は、中国の戦国時代に書かれた『荘子』(そうし・そうじ)の中に出てきます。『荘子』は荘子、つまり荘周によって書かれた思想書で、故事成語「大同小異」はこの本の第3部「雑編」の最後の項目「天下」に出てきます。「大同而与小同異、此之謂小同異。万物畢同畢異、此之謂大同異」がそれです。意味は「世の中には大同にして小同と異なるものがあり、これを小同異という。これに反して万物ことごとく同じく、ことごとく異なるものがあってこれを大同異という」ということ。


他山の石(たざんのいし)

他人の失敗や、誤ったり劣っている言動は、自分の為に利用する事が出来るという事。知徳を磨いたり、反省材料にする際に参考になるという事。

【故事】

中国最古の詩編『詩経』の『小雅・鶴鳴』篇にて、「他山の石、以て玉を攻むべし」とあるのに基づく。「よその山から出た粗悪な石でも、自分の玉(宝となるもの)を磨く砥石として利用できる。」という意味から。

他山の石

蛇足(だそく)

よけいなつけ足しのこと。また、なくてもよい無駄なもののこと。しなくてもいいこと。

【故事】
「戦国策・斉」より出典。中国の楚(そ)の国で、祠(ほこら)の司祭者が召使に大杯に盛った酒を振る舞った。しかし、召使たちはみんなで飲むには酒が足りないので、地面に蛇の絵を描き、早く描き上げた者が酒を飲もうと提案し、さっそく蛇の絵を描き始めた。最初に蛇を描き終えた者が、酒を引き寄せながら、自分の早さを自慢するために、ついでに足まで描けるぞと描いているうちに、もう一人の者が蛇を描き終えて杯を奪い取った。「蛇に足はない。だから、酒を飲む権利は私にある。」そう言って、その酒を飲んでしまった。


断腸の思い(だんちょうのおもい)

はらわたが千切れてしまうほどに、深く悲しいことのたとえ。

【故事】
「世説新語(せせつしんご)」黜免(ちゅつめん)より出典。「桓公(かんこう)蜀(しょく)に入り、三峡の中に至る。部伍(ぶご)の中に猨子(えんし)を得る者あり。其(そ)の母岸に縁(よ)りて哀合し、行くこと百余里にして去らず。遂に跳りて船に上り、至れば便即(すなわ)ち絶ゆ。其の腸中を破り視れば、腸皆寸寸に絶えたり。」中国、晋(しん)の武将桓温(かんおん)が蜀へ行こうとして、舟で三峡(長江中流の大渓谷で、古来航行の難所)を通った時に、従者が猿のこどもを捕らえて舟に乗せた。母猿は悲しい鳴き声をあげながら、岸に沿ってどこまでも追いかけてきて、百里以上ついてきたけれどあきらめようとせずに、ついに舟に飛び乗ってきた。しかし、途端に息絶えてしまった。そこでその腹を裂いてみると、悲しさのあまりに腸がずたずたにちぎれていたということに基づいている。


朝三暮四(ちょうさんぼし)

目の前の違いに心を奪われて、結果が同じになることに気がつかないこと。また、ことば巧みに人をだますこと。

【故事】
宋の狙公(そこう)が飼っていた猿に橡(とち)の実を与えるとき、朝に三つ、夕方に四つやろうと言うと怒ったので、それなら朝に四つ、夕方に三つやろうと言うと大喜びしたという、『列子』『荘子』にある寓話に基づく。


長者の万灯より貧者の一灯(ちょうじゃのまんとうよりひんじゃのいっとう)

金持ちが見栄をはって差し出す大量の寄進より、たとえわずかでも貧乏人が心を込めて捧げる寄進の方がまさっているということ。

【故事】
「阿闍世王受決経」から。阿闍世王は、招待したお釈迦様がお帰りになる時に、宮殿から祇園精舎沿いにたくさんの灯火をともしました。それを見た貧しい老婆がなんとかお金を工面しやっと一本の灯火をともします。阿闍世王の灯火が消えた後も、老婆がともした一本の灯火はずっと消えなかったというお話です。


敵は本能寺にあり(てきはほんのうじにあり)

真の目的は別のところにある意。

【故事】
明智光秀が備中の毛利勢を攻めると称して出陣し、織田信長を本能寺に攻めた故事。

敵は本能寺にあり

天知る地知る我知る人知る(てんしるちしるわれしるひとしる)

誰も知るまいと思っても、天地の神々も私も君も知っている。隠し事は必ず露頭するものであるということ。四知。

【故事】
出展は「後漢書」です。後漢の学者に推薦(すいせん)されて役人になった人が賄賂(わいろ)を贈ろうとしたとき、「夜なので誰にも気づかれません」と言ったところ、学者が「天知る、地知る、我知る、子知る。何をか知る無しと謂(い)わんや=天の神も知っている、地の神も知っている、わたしもあなたも知っている。だからひそかにやっているつもりでも不正はいつかきっと露見(ろけん)する」と答えたという故事に基づいています。


天高く馬肥ゆる秋(てんたかくうまこゆるあき)

秋の快適な気候のこと。

【故事】
秋は空気が澄んでいて、空が高く感じられる。馬が肥えるような収穫の季節でもあることから。


桃源(とうげん)

今住んでいる社会の悩みや心配ごとからはなれた別の天地のこと

【故事】
晋(しん)の時代のこと。武陵(ぶりょう)のある漁師が川をさかのぼっていくと、桃の花の咲く林に出た。さらにさかのぼると、思いがけない別天地にたどり着いた。そこには、戦争もなく、幸福にくらせる生活があった。後日、もう一度、漁師はそこに行こうとしたが、とうとう見つからなかったという。このことから、この語ができた。(桃花源記)

桃源

登龍門(とうりゅうもん)

立身出世、成功のための関門。

【故事】
黄河の上流に龍門があり、ここをのぼることができた鯉は龍なることができたという伝説がある。漢の国の李膺(りよう)はりっぱな役人で、彼の目にかなった者は立身出世(りっしんしゅっせ)を約束されたようなものだから、たとえの鯉が龍門をのぼったのと同じようなものだということから、この語ができた。


蟷螂の斧(とうろうのおの)

自分の力が弱いことに気づかずに大敵に刃向かうこと。向こう見ず。はかない抵抗。

【故事】
出典は「韓詩外伝(かんしがいでん)」です。斉(せい)の荘公(そうこう)が狩りに行ったときにカマカリが前足を振り上げ車の輪を打とうとしたので「これは何の虫だ」と問うと、「カマキリという虫で、進むことしか知らず、退くことを知りません。自分の力量をかえりみず相手に立ち向かっていきます」と答えたことから。

蟷螂の斧

怒髪天を衝く(どはつてんをつく)

怒ったために頭髪が逆立って、かぶった冠を突き上げるという意味で、尋常ではない、すさまじい怒りの形相のこと。

【故事】
漢(かん)の国の王の劉邦(りゅうほう)と天下を争った楚(そ)の国の王の項羽(こうう)は、会見の時に項羽(こうう)の軍師の范増(はんぞう)の指示に従って、剣の舞(けんのまい)にかこつけて劉邦(りゅうほう)を殺そうとした。それを知った劉邦(りゅうほう)の家臣の樊かい(はんかい)が髪をさか立てて、怒りの顔つきで目をらんらんとかがやかせ、項羽をにらみつけていたので、劉邦は殺されずに助かったということから、この語ができた。


虎の威を借る狐(とらのいをかるきつね)

有力者の権勢をかさに着ていばるつまらぬ者のこと。

【故事】

中国前漢時代の学者・劉向が戦国時代の言説、国策、献策、その他の逸話をまとめあげた書『戦国策』の『楚策』より。「虎が狐を食おうとしたところ、狐は自身が天帝から百獣の王に任命されているため、食べたら天帝の意にそむくことになると伝えた。嘘だと思うならついて来い、と言われた虎は、狐の後に続くと、行き合う獣たちはみな逃げ出していく。虎は獣たちが自分を恐れていたことに気づかず、狐を見て逃げ出したのだと思い込んだ。」という記述から。

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