韓国には古くから伝わる豊富なことわざがあり、その言葉たちが今も私たちの日常生活に彩りを与えています。さまざまな状況で繰り返されるこれらの格言は、人生の知恵や道徳的な教訓を伝えるために使われ、世代を超えて語り継がれています。本記事では、その中から厳選された韓国の有名なことわざをご紹介します。
その言葉たちから、韓国の歴史や文化を感じることができるでしょう。
さあ、一緒に韓国のことわざの世界を旅しましょう。心に残る韓国の有名なことわざをお楽しみください。
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目次
「あ行」の韓国のことわざ
足のない言葉が千里を行く
言葉は慎まなければならない。
新しい草鞋を買う前に古い草鞋を捨てるな
焦って行動すると、後で修正できなくなることがある
雨が降った後に地面が固まる
争いごとなど悪いことがあったあとに、前よりもよい関係になること。
蟻の穴から念入りに築き上げた塔も崩れる
わずかな油断や手違いで重大な物事が駄目になること。
往く言葉が美しければ、来る言葉も美しい。
相手に親切な言葉や行動をすると、相手も同様に良い態度で応えてくれる。
いくら継ぎはぎしても絹は絹
本来価値のある人や物は、時間が経ったり条件が変わったりしても、それなりの値打ちがあるものだというたとえ。
石も十年見ると穴があく
どんなに微力だろうとそれを諦めず継続していけば、いつの日にか努力が実るということ。
一家中で下男の苗字を知らない
非常に近いが故に、むしろ重要なことを知らない状況。
一笑一少 一怒一老
笑うことで若返り、怒ることで老化する。笑顔は人生にプラスの影響を与える例え。
行った日が市の立つ日
なにかをしようと思いついたら、すぐに実行したほうがいいというたとえ。
愛し子は鞭一つよけいに打ち、憎い子には餅を一つよけいに渡す
親は、子どもを手元においてあまやかさずに、世間に出して苦労をさせたほうがよいということ。
井戸の中の魚
自分の身の回りのことしか知らないで、もっと広い世界があることを知らないこと。世間知らず。
犬の糞の上で転んでもこの世がよい
何事も命あっての上のことで、命を大切にしなければいけないということ。
猪をを捕ろうとして、飼い豚を逃がす
よくばって二つのことをいっぺんにやろうとして、結局両方ともできなくなること。
衣服が翼
身なりを整えれば、どんな人間でも立派に見えるというたとえ。
受ける愛情があってこそかける情がある
自分が相手に好意をもてば、相手も自分に好意をもってくれること。自分の心の持ち方しだいということ。
牛に話したことは漏れないが、妻に話したことは漏れる
女性はしばしばおしゃべりで口が軽いとされる。
牛の耳にお経を読む
何か注意されたり意見を言われたりしても、ぜんぜん聞く耳をもたず、効き目がないこと。
美しい金剛山の景色も食後にしか目に入らない
外観よりも実質を、虚栄より実益を重んじること。また、風流を解さないことのたとえにも用いる。
笑顔に唾は吐けない
嫌いな相手であっても、笑顔を見せられると無礼にはなれない。
オオカミはオオカミ同士、シカはシカ同士
同類は自然に集まるものだということ。または、志の同じ者はお互いを引き寄せるという意味。
お粥を茶碗に入れながらこぼしたとしても、釜の中に落ちる
失敗して損をしたと感じても、考え直すと実際には損をしていないことがある。
お前の大豆が大きいか俺の大豆が大きいかと言い争う
すみからすみまで、または些細なことまで干渉・穿鑿することのたとえ。どうでもいいような細かいことばかり取り上げて、あれこれとうるさくいうこと。
おんぶした子を三年間捜す
自分のことや身近なことは、かえって気がつきにくいということ。
「か行」の韓国のことわざ
カエルがオタマジャクシのころを思い出せない
苦労して成功した若い頃をすっかり忘れ、傲慢に振る舞うたとえ。
顔に墨を塗る
その人の言動で他人の体面を汚すこと。恥をかかせること。
角ばった石は鑿で削られる
すぐれてぬけ出ているものは、とかく憎まれる。また、でしゃばったことをすると、ほかからねたまれる。
かける情けあれば返る情けあり
人に親切にしておくと、それはめぐりめぐって、やがて自分のためになるのだから、人には親切にしなさいとの教え。
風邪をひいても、人にはやらない
極端にけちな人を例える表現。
勝てば忠臣、負ければ逆賊
勝った方はすべて正しいとされ、負けた方はすべて悪いとされるたとえ。
カバンのひもが短い
学歴がないことのたとえ。
カボチャを被って豚小屋に入る
自ら窮地に陥ることの例え。
火薬を担いで火の中に入る
自分ではなく他人の利益のために、そそのかされ危険をおかし、酷い目にあうことのたとえ。
可愛い子には鞭を加え、憎い子には餅菓子を一つ多くやる
親は、子どもを手元においてあまやかさずに、世間に出して苦労をさせたほうがよいということ。
川辺で生まれても育ち次第
氏素性のよさより子供から大人になる間の環境やしつけ、教育の方が、人間の形成に大きな影響を与える。
漢江に石投げ
どれだけ頑張っても、ほんの少しの成果しか得られないことの例え。
肝臓に行ってついたり、肺臓に行ってついたり
定見がなく、あっちへついたり、こっちへついたりすること。
眼病に唐辛子粉
悪い事が起きた中で、更に悪い事が重なっておこること。
キジを食べ卵も食べる
キジを食べると、その中に卵も含まれていたという話。
義母の家で味噌がきれた時、婿が味噌汁は嫌だという
困っている状況の時に、思いもかけない助けがあること。望んでいるものが、都合よく得られること。
行列の後のラッパ
物事が終わった後に後悔をしても手遅れであるということ。
孔子の前で字を書く
その道を知り尽くしている相手に、不必要なことを教えることのたとえ。
越してもいない峠にため息からつく
何かをする前はあれこれと心配するが、実際にやってみると案外簡単にできるものだということ。
言葉は発してこそ味があり、肉は嚙んでこそ味が出る
言いたいことや伝えるべきことを口に出さなければ、意味がないという意味。
米はこぼしても拾えるが、言葉は言ったら取り返しがつかない
一度口にした君主の言は取り消すことができない。
転んだついでに休んでいく
たとえ失敗しても、必ず何か利益を得ようとすること。欲張りな人や、根性のある人をさす。
子を育てることを覚えてから嫁に行く女がいるか
何事もまず試してみることが大切であり、行動を起こさずに文句を言うだけでは何も始まらない。
金剛山も食後の見物
素晴らしい景色を堪能できるのも、食事を済ませて満腹の状態だから。空腹であれば何も楽しめないことの例え。
「さ行」の韓国のことわざ
歳月が薬
時間が問題を解決すること。
冷めたお粥を食べる
かんたんにできること。わけないこと。
ザリガニはカニの味方だ
外見や状況が似ている人同士は、相性が良く、お互いに理解し合いやすいこと。
三歳の癖八十歳まで
幼いころの性格は、年をとっても変わらないということ。
舌がまめだと手足が遅い
話し上手な人は、しばしば行動が伴わないことがある。
知っている道も尋ねて行け
何かあっても困らないように、しっかり用意しておくことが大切だということ。
尺にも足らぬときがあり、寸にも余るときがある
どちらつかずで、中途半端で、何の役にも立たないたとえ。
十回聞くより一度見よ
物事は、耳で何度も聞くより、一度実際に自分の目で見るほうがたしかだということ。
塾の犬は三年で漢詩をつくる
賢い人のそばに長くいると、知恵が身につくし、その人が仕事をする様子を見ているうちに自然と技能が身につくという例え。
処女が子を産んでも言い訳がある
どんなことにも理屈をつけることができる。
知らなければ薬、知れば病
知れば腹も立ち、悩んだりもするけれど、知らなければ心を動かされずに穏やかでいられるということ。
死んだ大臣より生きている犬がまし
何事も命あっての上のことで、命を大切にしなければいけないということ。
スイカの皮をなめる
自分の思うようにいかずに、じれったいこと。物事の核心に触れられず、もどかしいこと。
澄んだ井戸も一匹のどじょうで濁る
グループに一人変な人がいると全体が悪影響を受ける。だから、グループを組む際は注意が必要だ。
澄んだ水では魚が遊ばない
あまりにも清く正しい人は、人が近寄りがたく、友だちができにくいということ。
底抜け壺に水を注ぐ
どれだけ努力しても報われないこと。
「た行」の韓国のことわざ
大工の多い家はきっと傾く
指図する人が多すぎると、方針が統一できずに、物事がうまく運ばないこと。
大豆を植えたところには大豆が、小豆を植えたところには小豆が生える
何もしないで、良い結果を得ようとしても得られない。
他人の欠点は最良の師
他人のやったことは、間違っていることでも、自分のために役立てることができるということ。知徳を磨いたり、反省材料にする際に参考になるという事。
他人の餅のほうが大きく見える
他人のものは自分のものよりよく見えるということ。
狸の穴を見て皮の代金を出す
実際にまだ自分の物になっていない、手に入るかどうかもわからない不確かなものや利益に期待をかけて、計画を練る事。
小さな唐辛子が辛い
からだは小さいけれど、意志が強く、鋭い気性や優れた才能があり、非常に優秀で侮ることのできない人のたとえ。
地面に突き出た小石を蹴れば爪先が痛いだけ
すぐにいらいらして短気を起こすと、喧嘩をしたり、あぶない目にあったりして、結局は短気を起こした本人が損をするという事。
塵を集めて泰山
小さいことでも積み重ねれば大きなことになるということ。
鶴が千羽あれば必ず鳳凰が一羽ある
多くの子どもがいると、中には少なくとも一人ぐらい優れた子がいるはずだ。
天が崩れても湧き出る穴がある
どんな困難な状況でも、必ず解決策が存在する。
遠くのいとこより近い隣
いざというときに頼りになるのは、遠くに住んでいる親戚より、近くに住んでいる他人であるということ。
虎に翼
ただえさえ強い人が、何かを得たり、良い条件が加わったりして、さらに強さを増すこと。
虎のいない谷ではウサギが師だ
本当にその分野の優れた人がいないところでは、少し詳しいだけであたかもその分野の専門家のように威張り、偉そうにする人を意味する。
虎の話をすると虎がやって来る
ある人の噂をすると当人がそこに現れるものだ。
鳥の足の血
ほんのわずかな量のたとえ。
泥棒の家にも升がある
泥棒の家も、もともとは普通の家だった。誰も最初から泥棒になりたいと思っているわけではない。
「な行」の韓国のことわざ
殴る夫より、姑が憎い
嫁と姑の関係は、夫婦喧嘩以上に厄介なものである。
鼠の穴にも日が射す日がある
今は思うようにいかなくても、あせらずに待っていれば、良いことはそのうちにやってくるということ。
「は行」の韓国のことわざ
這う者の上に飛ぶ者がいる/走る者の上に飛ぶ者がいる
最高にすぐれていると思っても、さらにすぐれたものがある。うぬぼれや欲望を戒める言葉。
始まりが半分だ
いかに困難なことでも、一度始めてしまえば半分終わったようなものだ。
腹よりヘソが大きい
大事なことと、つまらないこととが反対になること。大事な点と、どうでもいいこととを取りちがえること。物事の根本的なことと、そうでないこととを取り違えること。
針泥棒は、牛泥棒になる
小さなものを盗むと、次第に大きなものを盗むようになる。
ハリネズミも自分の子は毛が柔らかくつやつやしていると言う
親バカ。
半分をもって始めとせよ
どんなことでも始めるのが一番難しく、始めることができれば半分は達成したものと同じ。
人の噂も三か月
人の噂は長く続くものではないということ。
人の脚絆を巻いてやる
自分のやるべきことを放置し、他人のことに熱心になっている状況。
人を泣かせると、自分の目から血の涙が出る
人を傷つけると、自分にもっと大きく返ってくる。
ひもじさがおかず
空腹の時には、まずいと思う食べ物はなく、なんでもおいしく食べられるというたとえ。
食欲以外にも使われる。
百回転んだら百回また起き上がる
度重なる失敗にも屈せず奮起することのたとえ。また、人生の浮き沈みがはなはだしいことのたとえ。
昼の言葉は鳥が聞き、夜の言葉はネズミが聞く
内緒話をするときは、どこでだれが見たり聞いたりしているかわからないので、気をつけた方がよいという教え。
深かった川も浅くなれば来ていた魚も来ない
金銭によって成り立った関係は金が尽きれば絶えてしまう意。
福は寝て待つ
幸福というものは人の力ではどうすることもできないから、やるべきことをやったら、自然に身を任せ気長に待つことが良いということ。
二人で食べているうち、一人が死んでも気づかない
食べ物が非常においしいというたとえ。
夫婦喧嘩は刃物で水を切ること
刃物で水を切っても影響がないように、夫婦喧嘩もやがて自然に仲直りする。
「ま行」の韓国のことわざ
曲がった錐
あまりにもひどすぎてどうにもできないこと。
道連れが良ければ遠い道も近い
世の中をわたるのも、お互いに思いやりを持って助け合うことが大事だということ。
道端の石も縁あってこそ蹴る
男女の縁は不思議でおもしろいものであるということ。
ミミズも踏めばうごめく
どんな弱小なものにも、それ相応の意地や考えがあるのだから、ばかにしてはいけないということ。
「や行」の韓国のことわざ
野生の瓜は先にとった人が持ち主だ
・人よりも先に物事を実行することによって、相手を抑え、有利な立場に立つことができる。
・先手を取ることができれば、相手を圧倒し、抑えつけることができる。
・何事も、先手を取ることで成功の糸口をつかめるが、後手に回っては勝ち目がない。
夜の話は鼠が聞き、昼の話は鳥が聞く
内緒話をするときは、どこでだれが見たり聞いたりしているかわからないので、気をつけた方がよいという教え。
「ら行」の韓国のことわざ
龍の尻尾になるより、蛇の頭になるほうがよい
大きな集団の中の下にいるよりも、小さな集団の先頭に立てといういましめ。人に従属するよりも独立したほうがよいとするたとえ。
礼服を着て田を耕しても自分の勝手
人の好みはさまざまであること。
「わ行」の韓国のことわざ
若い時の苦労は金でも買えない
若いときの苦労は自分を鍛えてくれて将来役立つ貴重な経験が出来ることから、自から求めてしたほうがよいということ。また、ほかの人が辛いと思うこと事、嫌がることを進んでやることで自らを錬磨できるという意味です。
わが癖十ある奴が、人の一癖をそしる
自分の欠点には気づかないで、他人の欠点をあざ笑うことのたとえ。あざ笑うものも、笑われるものも大した違いはないということ。