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【ことわざ100選】有名なことわざ意味付き|ことわざ研究者:北村孝一 選定

有名なことわざ

ことわざとは人々の知恵を、だれもが知っているたとえで表したものです。

昔から多くの人によって伝えられてきたものですから、ことわざを使って表現すると人の共感を得やすくなります。

こちらでは、ことわざを学び始める方にぜひ知っていただきたい厳選の「ことわざ100選」を、意味と共にご紹介します。

「ことわざ100選」は、ことわざ研究者・北村孝一先生のご協力により、収録項目を選定いただきました。

当記事のことわざを選定した人
北村孝一(きたむら よしかつ)先生
北村孝一ことわざ研究者(ことわざ学会代表理事)。エッセイスト。学習院大学非常勤講師として「ことわざの世界」を講義した(2005年から断続的に2017年3月まで)。用例や社会的背景を重視し、日本のことわざを実証的に研究する。多くのことわざ資料集を監修し、『故事俗信ことわざ大辞典』第2版(小学館、2012)を編纂・監修した。後者を精選しエッセイを加え、読みやすくした『ことわざを知る辞典』(小学館、2018)も編んでいる。

 

選定の基本方針は、次の3つです。

1.多くの人によく知られているもの

北村孝一先生
有名なことわざは、ふつうの人が知っていて常識とされ、いちいち説明せずに使われます。意味だけでなく、どのような場面で使われるかに注意し、必要なときに使えるように身につけましょう。

2.日常生活で使われるもの

北村孝一先生
特に古典や文学にくわしくなくても、生活のなかで自然に使われるものです。ふだん使われる口語の形を主に採用しましたが、漢文的表現や文語でも現在使われているものは、見出しにしたり、説明文で補足しています。

3.ことわざのレトリックになじみ、センスを磨けるもの

北村孝一先生
ことわざは、短い表現で、口調がよく、深い意味をあらわすものが少なくありません。比喩や対句、反語など、多様なレトリックが用いられています。ことわざによく使われる表現方法になじみ、論理的理解力とともに、ことばのセンス(感性)を磨けるものを選びました。丸暗記ではなく、声に出して、ゆっくり味わってみてください。

有名な慣用句は、【慣用句100選】有名な慣用句意味付きをご覧ください。

小学校で習うことわざは、【小学生用】小学校で習うことわざ312選をご覧ください。

当サイトに収録してある全てのことわざは、ことわざ検索(ことわざ集)をご覧ください。

当サイトの目次・逆引きは、逆引き検索一覧をご覧ください。

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「あ行」のことわざ意味付き

後の祭り(あとのまつり)

後の祭り
ことわざ博士
後の祭り」とは、何かをしたり言ったりするのが遅すぎて、手遅れになった状態のことだよ。
助手ねこ
大好きなねずみさんを追いかけるニャン!でも、昼寝してたら、ねずみさんが逃げちゃったニャン。後の祭りニャ〜。
ことわざ博士
このことわざの解釈には、2つの考え方があるんだよ。助手ねこくん知ってるかな?
助手ねこ
オラ知ってるにゃん。まず、「楽しみにしていた祭りも終わった後に、行ったのではしょうがない」という意味だニャン。適切な時機を逃しちゃうってことだニャ〜。
ことわざ博士
その通り!もう1つは、「人が亡くなった後では、儀式がどれほど立派でも意味がない」という悲しみや後悔、無力感を含んだものだよ。
助手ねこ
天国に行ったじいちゃんねこに、もっと魚をあげればよかったニャン。もう無理ニャンよ。

[使用例] 

尊といかも知れないが、どうも饂飩屋は性に合わない。――しかし、とうとう饂飩を食わせられた今となって見ると、いくら饂飩屋の亭主を恨んでも後の祭りだから、まあ、我慢して、ここから曲がってやろう[夏目漱石*二百十日]


雨降って地固まる(あめふってじかたまる)

雨降って地固まる
ことわざ博士
雨降って地固まる」とは、悪いことや困難な状況が起きた後に、かえってものごとがよい方向に進み、結果的にものごとがしっかりと安定することだよ。
助手ねこ
雨が降った後は、ゆるんだ土地が固く締まるニャン。雨が大地をしっかりと固めるんだニャ!
ことわざ博士
そうだね。人間関係でトラブルが起きた時、問題を乗り越えることで、お互いの理解や信頼が深まり、より強い絆が生まれることがあるよね。
助手ねこ
チームでもお仕事でも、大変な状況を乗り越えると、みんなの団結力がアップするニャン。その結果、チームも会社も成長するニャー!
ことわざ博士
このことわざは、人生で直面する困難や試練を、「成長や改善のチャンス」として前向きにとらえることを教えてくれるんだ。
助手ねこ
昨日ケンカしちゃったお友達と、仲直りして一緒にミルクをゴクゴクしたら、前よりもっと仲良しになったニャン♪

[使用例] 

私たち二人はかように清算したことによって気持も晴れ、多くの教訓を得て、もはや数千円の損失などは問題ではなく、これで我が中村屋も雨降って地固まる、いよいよここに基礎が定まりました。[相馬愛蔵、相馬黒光*一商人として]


案ずるより産むが易い(あんずるよりうむがやすい)

案ずるより産むが易し
ことわざ博士
案ずるより産むが易い」とは、ものごとは心配するよりも、実際にやってみると案外かんたんにできる、という意味だよ。
助手ねこ
昔も今も、出産はとっても大変だニャン。このことわざは、不安な妊婦さんを元気づけるために使われていたニャンね。
ことわざ博士
そうだね。かつては「産は女の大厄」「産は女の命定め」などと言われていたんだよ。
助手ねこ
今では出産と関係ない場面で使われることが多いニャンよ。オラも、むやみに心配するより、まずはやってみるニャー!
ことわざ博士
このことわざは、心配が先立って行動に移せない人に対して、「まずは一歩踏み出してみよう!」と背中を押してくれるものだね。
助手ねこ
あの子に好きって言ったら嫌われるかもって、ドキドキニャン。でも、思い切って好きニャーって伝えたら、お付き合いできたニャン♪
「案ずる」は「心配する」、「やすし」は「かんたんだ」の意味。「産む」は「生む」とも書く。

[使用例] 

マア坊は振向き、僕を見つけて笑った。「土産をくれないの?」と言ってみた。<略>「あとでね、か。案ずるより生むが易し、だ。」そんな事を心の中で呟き、僕は、どさんとベッドに寝ころがった。[太宰治*パンドラの匣]


石の上にも三年(いしのうえにもさんねん)

石の上にも三年
ことわざ博士
石の上にも三年」とは、つらくても我慢して努力を続ければ、やがて報われるということだよ。
助手ねこ
冷たい石の上にも三年間すわり続けていれば、自然と石があたたかくなるのが由来ニャンよ。
ことわざ博士
江戸時代初期には「石の上にも三年いれば温まる」と使われていたんだ。「いれば」は「すわれば」という意味だよ。
助手ねこ
このことわざは、入学、入団、就職、開業など、何かを始める時の心構えとして、よく使われるニャン。昔は、夫と別れて実家に帰りたい新妻をなだめるときにも使われていたニャン。
ことわざ博士
「三」という数字は、区切りとして象徴的に使われるんだ。厳密な数字ではないけれど、新しい環境に慣れ、余裕が出てくる時期だよ。
助手ねこ
オラ、最初はことわざが全然わからなかったニャ。でも、博士に教えてもらってコツコツ勉強し続けたら、今ではことわざに詳しくなったニャン!

[使用例] 

今年も駄目だ。<略>これを限り、米はやめよう、と三郎は手の中の空の穂を捨てて言った。やめますか。七回目だからな。最初は明治二十一年だった。石の上にも三年という。七たび試みればもういいだろう。[池澤夏樹*静かな大地]


急がば回れ(いそがばまわれ)

急がば回れ
ことわざ博士
急がば回れ」とは、急いでいるときほど、危険な近道を通るよりも安全で確実な道を選んだ方が結果的に早く目的地に着くという意味だよ。
助手ねこ
江戸時代(16世紀)には世間で広まっていた言葉ニャン。「負けるが勝ち」みたいに、一見矛盾してるように見える逆説的な表現ニャー。
ことわざ博士
その通り!別の表現で、「急げば回る」「急ぐ道は回れ」とも言うよ。
助手ねこ
「急がば回れ」は、仕事や日常生活で役立つニャ。急いで作業すると後でミスが見つかって、かえって時間がかかったことがあったニャン。
ことわざ博士
このことわざは、短期的な効率を追求するよりも、長期的な成功を見すえて慎重に行動することの大切さを教えてくれる言葉だね。
助手ねこ
お魚見つけたニャン。でも、急いで飛びかかると逃げちゃうニャン。ゆっくり近づいて、パクッとするにゃん!急がば回れニャン。

一富士二鷹三茄子(いちふじにたかさんなすび)

一富士二鷹三茄子
ことわざ博士
一富士二鷹三茄子」とは、夢(特に初夢)に見ると縁起がよいものを、順に3つならべたものだよ。
助手ねこ
あまり知られてニャいけど、このあとに、「四扇五煙草六座頭(しおうぎごたばころくざとう)」って続けることあったニャン!

一寸の虫にも五分の魂(いっすんのむしにもごぶのたましい)

一寸の虫にも五分の魂
ことわざ博士
一寸の虫にも五分の魂」とは、どんなに小さく弱い存在であっても、自分なりの誇りや意地を持っているという意味だよ。
助手ねこ
生きてるものたちは、みんな大切な命を持ってるニャン。だから、むやみにバカにしたりしちゃダメってことニャンよ。
ことわざ博士
体調がわずか一寸の虫にも、五分(0.5寸≒約1.5センチ)の魂がある」ということだよ。自尊心や心意気を強調しているんだ。
助手ねこ
「五分の魂」ともいうニャンね。
ことわざ博士
その通り!このことわざは、「自分より小さい者や弱そうな者を侮ってはいけない」という戒めのことばだね。
助手ねこ
ニャニャ!ちっちゃいカマキリさんが、オラにカマを振り上げて威嚇してきたニャン!小さいのに勇ましいニャンね〜。

[使用例] 

名ばかりの亭主で、むなしく、日々が過ぎた。一寸の虫にも五分の魂やないか、いっそ冷淡に構えて焦らしてやる方が良いやろと、ことを察した木下が忠告してくれたが、そこまでの意気も思索も浮ばなかった。[織田作之助*放浪]


犬も歩けば棒に当たる(いぬもあるけばぼうにあたる)

犬も歩けば棒に当たる
ことわざ博士
犬も歩けば棒に当たる」は、2つの意味があるんだ。1つ目は「積極的に行動する者は、ときに災難に遭う」という「災難説」だよ。
助手ねこ
これは、「犬もうろつき歩くと、棒で殴られることがある」というのが由来ニャン。ちょっとかわいそうに思えるニャア。
ことわざ博士
2つ目の意味は、「いろいろやっているうちに、思いがけない幸運に出遭うこともある」という「幸運説」だよ。
助手ねこ
江戸時代、犬は身分の低い人を表していたニャン。犬を見下し、自分は犬とは違うと考える人は、「災難説」に傾くニャン。
ことわざ博士
「幸運説」は自分を庶民(当時の犬)だと感じていた人々に支持されたんだ。庶民でも努力すればいつか幸運が訪れるという希望だね。
助手ねこ
犬をどう見るかで、このことわざの意味も変わってくるんだニャ〜。だから、幸運説と災難説が並行して存在しているんだニャ。
「犬も歩けば棒に会う」ともいう。「いろはがるた」(江戸)の1つ。

[使用例] 

俺はただ一つ処にじっとしていないために、犬も歩けば棒に当るというくらいな気持で、ぶらりぶらり歩いたのだった。[豊島与志雄*神棚]


命あっての物種(いのちあってのものだね)

命あっての物種
ことわざ博士
命あっての物種」とは、命があってこそ、ものごとに取り組んだり成果を得ることができるという意味だよ。
助手ねこ
どんなに成功や財産を追い求めても、死んじゃったらもとも子もないニャン。命が一番大切ニャンよ!「物種」はものごとの根源のことニャンよ。

井の中の蛙(いのなかのかわず)

井の中の蛙大海を知らず
ことわざ博士
井の中の蛙」とは、自分の狭い知識や経験にとらわれて、広い世界があることを知らない人を指すんだよ。「大海を知らず」って続けることも多いんだ。
助手ねこ
井戸の中にいるカエルが、自分の世界だけがすべてだと思い込んでいるってことニャン。一人よがりを戒めるときによく使われるニャン。
ことわざ博士
このことわざは、冒頭部が「井の中」「井底」「井のうち」などと多様で、「蛙」も「かわず」のほか「かえる」や「あ」と読むこともあるよ。
助手ねこ
いろいろな言い方がある理由は、ほかの漢文由来のことわざと違って、読み下し文として定着しなかったからだニャ〜。
ことわざ博士
井戸もカエルも身近なものだったから、多くの人がそれぞれの言葉でほかの人に伝えた結果、いろいろなバリエーションが生まれたんだね。
助手ねこ
ずっと家に引きこもってちゃダメだニャ。外には素晴らしい世界が待ってるニャン!「井の中の蛙」にならないように、たまには外に出て新しい発見をするのも大切ニャ~!

[使用例] 

この浅虫の海は清冽で悪くは無いが、しかし、旅館は、必ずしもよいとは言へない。寒々した東北の漁村の趣は、それは当然の事で、決してとがむべきではないが、それでゐて、井の中の蛙が大海を知らないみたいな小さい妙な高慢を感じて閉口したのは私だけであらうか。[太宰治*津軽]


魚心あれば水心(うおごころあればみずごころ)

魚心あれば水心
ことわざ博士
魚心あれば水心」とは、「魚」が心を持っていれば、「水」も心を持つということ。つまり、一方が好意を持てば、相手も自然と好意を持つという意味だよ。
助手ねこ
「魚」と「水」の関係みたいに、お互いが自然に引き合うって感じだニャ〜。ニャンだかロマンチックな話だニャ。
ことわざ博士
もともとは「魚、心あれば、水、心あり」という形だったようだね。それが「魚心」「水心」と発音が変わってきたんだよ。
助手ねこ
ニャるほど!名詞が連なるときに後ろの言葉が濁音になる、「連濁」っていう現象のことニャンね。日本語って面白いニャ〜。
ことわざ博士
このことわざは、「お互いに好意や思いやりを持って接すれば、自然とよい関係が築ける」ということを教えてくれているんだ。
助手ねこ
しっぽをフリフリしながら「ニャンニャン」ってご挨拶したら、お魚さんもヒレをピョンピョンって嬉しそうにしてくれたニャ〜♪
「水心あれば魚心あり」ともいう。

[使用例] 

あの山の端にかかっているあなたの国の月光が、なんと、私共の地上では、娘と男のはるかな想いを結びあわせる糸ともなれば、恋の涙を真珠にかえる役目もします。魚心あれば水心とは申しませぬ。五日の後に、この笛は、きっとおてもとに返しましょう。[坂口安吾*紫大納言]


馬の耳に念仏(うまのみみにねんぶつ)

馬の耳に念仏
ことわざ博士
馬の耳に念仏」とは、いくらよいことを言っても、相手がまったく聞く気がない場合、なんの効果もないことを意味しているんだよ。 
助手ねこ
つまり、馬にありがたい念仏を唱えても、馬はなにも理解できないから、無駄ってことだニャン。 
ことわざ博士
「馬」は比喩で、実際には「聞く耳をもたない人間」のことを指しているんだ。聞く気がなければ、なにを言っても無駄という教訓が込められているんだよ。
助手ねこ
 ニャンと! 「馬の耳に念仏」って、ただのたとえじゃなくて、「道理を説いても相手に聞く気がないと意味がない」ってことを強調しているニャンね。 
ことわざ博士
昔は「馬に念仏」とも言われていたんだけど、江戸時代中期に「馬の耳に風」という表現と一体化して、いまの形になったんだよ。 
助手ねこ
ふむふむ。だから「馬の耳に念仏」っていう言葉がいまでもよく使われるんだニャンね!

[使用例] 

そうして、帰ってくるかと思うと、私の言うことなんか馬の耳に念仏で、そうやって大の字なりの高鼾だ……よし! 今日は一つ、泰軒先生に申しあげて、じっくり意見をしてもらいましょう[林不忘*丹下左膳]


噂をすれば影がさす(うわさをすればかげがさす)

噂をすれば影がさす
ことわざ博士
噂をすれば影がさす」とは、「噂をしていると、不思議とその人が現れるものだ」という意味だよ。
助手ねこ
あの魚屋さんのサバは、すっごくおいしそうだったニャ。今日は買いに行くニャって話してたら……あれ? 魚屋さんが家まで来たニャ!

海老で鯛を釣る(えびでたいをつる)

海老で鯛を釣るのイラスト
ことわざ博士
海老で鯛を釣る」っていうことわざを知ってるかな? 
助手ねこ
ニャンと!小さな海老で、高価でおいしい鯛を釣るなんて、すごいニャン!それはどういうときに使うニャン?
ことわざ博士
これはね、小さなものを差し出して、大きな価値のあるものを得るたとえなんだよ。 
助手ねこ
ニャるほど!友達におかしをちょっと分けてあげたらマンガを全巻借りられたのも、「海老で鯛を釣る」っていうことかニャ!
ことわざ博士
そうだね。それと、一度きりのことや贈り物をしたときに使われることが多いんだよ。いつも成功するわけじゃないから、運も大事だね。
助手ねこ
じゃあ、いつもおかしを持ち歩かないとニャ!チャンスがあったら、また海老で鯛が釣れるかもしれないニャン!

[使用例] 

無論のことにそれと言うのは、囮の京弥をなるべく人の目に立たせるためで、人が京弥のすばらしい女装姿に見惚れて通ったならば、いつかそのあでやか振りが伝わって、百化け十吉の耳にも這入り、或は直接また目にもかけ、うまうま海老で鯛を釣る事が出来るだろうと思ったからでした。[佐々木味津三*旗本退屈男]


縁の下の力持ち(えんのしたのちからもち)

縁の下の力持ち
ことわざ博士
縁の下の力持ち」とは、目立たないところで他人を支えたり、陰で重要な役割を果たしている人やものを指す表現だよ。
助手ねこ
明治大正のころまでは、報われない役割や仕事をさし、否定的な意味で使われていたけど、現代では裏方さんを褒める意味で使われるニャ!

負うた子に教えられて浅瀬を渡る(おうたこにおしえられてあさせをわたる)

負うた子に教えられて浅瀬を渡る
ことわざ博士
負うた子に教えられて浅瀬を渡る」とは、年長者や経験者が、ときには自分よりも未熟だと思っている若者や子どもから教えられたり、助けられることだよ。
助手ねこ
昔、背負った子どもから「浅瀬が安全だよ!」と教えられて、無事に川を渡った話が由来ニャン。

鬼に金棒(おににかなぼう)

鬼に金棒
ことわざ博士
鬼に金棒」とは、もともと強い鬼に、強力な武器である金棒を持たせると、これ以上ないほどいっそう強くなるっていう意味だよ。
助手ねこ
鬼ってだけでも怖いのに、金棒まで持たせたら、もう誰にも止められないニャン!
ことわざ博士
このことわざは、もともと強い者や優れている者に、さらになにかが加わって一段と強力になることを表しているんだ。
助手ねこ
つまり、もうすでにすごい人が、さらに強い武器や力を手に入れたら、もっとすごいことになるってことニャンね。
ことわざ博士
その通りだよ!ちなみに「金棒」の「カナ」は金属、つまり鉄を意味しているんだ。だから「鉄棒」と書いて「かなぼう」と読むこともあるんだよ。
助手ねこ
ふむふむ。だから鬼が持ってる武器は金属でできてるってことニャンね!江戸時代には「鬼に金棒」という形が定着したんだニャン。

[使用例] 

日本の料理界を見るとき庖丁を持たせば、達者に使える者は幾人もおる。煮炊きさせても、かれこれ役に立つ者もないではないが、ただ憾うらむらくは人間の出来ている者がない。<略>人間が出来ておって物が出来る。当たりまえながら、それで一人前なのだ。なんにも出来なくても、人間さえ出来ておれば、立派なものだ。いわんや人間が出来ておって物が出来るとしたら鬼に金棒だ。すなわち一人前の人間である。[北大路魯山人*世界の「料理王逝く」ということから]


帯に短し襷に長し(おびにみじかしたすきにながし)

帯に短し襷に長し
ことわざ博士
帯に短し襷に長し」はね、中途半端で役に立たないっていう意味なんだよ。
助手ねこ
 帯はある程度の長さがないとちゃんと結べないニャ。たすきは、袖を動きやすいように和服の袖をたくしあげて留めるもので、布が長いと邪魔でかえって不便ニャン。 
ことわざ博士
よく知っているね。ものごとの使い道や人の能力を評価するときに使われるんだ。 
助手ねこ
そういえば、このあいだすてきな帽子を見つけたニャ。でもオラには大きすぎたし、博士がかぶるには小さすぎたニャン。 
ことわざ博士
まさに「帯に短し襷に長し」だね!このことわざは、条件にかなう適切なものは、なかなかみつからないというニュアンスも含んでるんだ。
助手ねこ
おもちゃでも道具でも、自分に合ったものを見つけるのが楽しいニャンね!

[使用例] 

同年輩の多くのものはすでに子供まで産んでいるし、ただの一度も結婚ばなしのないなどというものは半人だっていなかった。バスの中から声をかけてくれたあのお梅さんだって、そのうしろから顔を見せたお民さんだって何回かの話はあったのだ。ただそれが例の「帯に短かし襷に長し」でまだ決まらないでいるだけなのだ。二人とも、ひょっとすると明日にでもどこかへきまるかも分らないし、いや、すでに内々はきまっているのかも知れないのである。[犬田卯*錦紗]


溺れる者は藁にもすがる(おぼれるものはわらにもすがる)

溺れる者は藁をも掴む
ことわざ博士
溺れる者は藁にもすがる」とは、人が危機に陥ったとき、どんなに頼りないものでも、すがろうとすることを表すよ。 
助手ねこ
溺れた人が、流れてきた藁につかまろうとしたってことニャン。絶望のなかでも、なにかにすがりつく気持ち、よく理解できるニャ。
ことわざ博士
そうだね。西洋のことわざ「A drowning man will catch at a straw.」の翻訳が元になっているんだよ。
助手ねこ
オラ知ってるニャン!日本では、明治30年代から、新聞の小説にも使われるようになって、広まっていったニャンよ! 
ことわざ博士
当時、海水浴が一般人にも流行していた時期だったから、溺れた人がなにかにすがる場面を想像しやすくなって、自然と広まったんだね。 
助手ねこ
大変ニャン!お風呂に落ちたニャー! ……でもニャンと!お風呂のおもちゃ見つけたニャン!しがみついて浮かんでるニャ~!

[使用例] 

国民の大半は戦争に飽くというより、戦争を嫌悪していた。六月、七月、八月――まことに今想い出してもぞっとする地獄の三月であった。私たちは、ひたすら外交手段による戦争終結を渇望していたのだ。しかし、その時期はいつだろうか。「昭和二十年八月二十日」という日を、まるで溺れるものが掴む藁のように、いや、刑務署にいる者が指折って数える出獄日のように、私は待っていた。[織田作之助*終戦前後]


思い立ったが吉日(おもいたったがきちじつ)

思い立ったが吉日
ことわざ博士
思い立ったが吉日」とは、なにかを始めようと思ったら、その日が最良の日だという意味だよ。迷わず始めるのが大事だね。「吉日」は縁起のよい日のことだよ。 
助手ねこ
新しいことを始めるには、タイミングを待つより、いまが一番ニャ!思い立った日が一番の吉日ニャンよ!

親の心子知らず(おやのこころこしらず)

親の心子知らず
ことわざ博士
親の心子知らず」とは、親が子どものためによかれと思って一生懸命やっているのに、子どもはその気持ちを理解せず、勝手気ままなふるまいをしてしまうことだよ。
助手ねこ
親が「宿題やったの?」って毎日聞くのは、心配してるからニャ。でも、子供は「うるさいニャー」と思うニャンよ。
ことわざ博士
とくに、子どもがまだ小さいときや、思春期になると、親の愛情や心配をうるさく感じてしまうことがあるんだよ。
助手ねこ
でもニャ、大人になってから、親の愛に気づくことが多いニャンよ。オラも小さいころは反抗ばかりしてたニャー。
ことわざ博士
助手ねこくん、ちゃんと大人になって気づいたのは偉かったね。
助手ねこ
ネズミさんを捕まえるコツを、愛弟子に教えるニャン。でも、愛弟子はいつも勝手に動いて、オラの言うことまったく聞かないニャー!
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「か行」のことわざ意味付き

蛙の子は蛙(かえるのこはかえる)

蛙の子は蛙
ことわざ博士
蛙の子は蛙」とは、子どもが成長すると結局は親に似てくる、または親と同じような道を歩むという意味だよ。
助手ねこ
オタマジャクシは最初、カエルとは全然違う姿ニャ。でも、時間がたつと、ちゃんとカエルに変身するニャー!
ことわざ博士
「蛙の子は蛙」というと、平凡な者もしくは取るに足らない者という意味合いで使われることが多いんだよ。
助手ねこ
オラ知ってるニャン!他人の子どもに使うのはちょっと注意が必要ニャンね。
ことわざ博士
正解だよ!でもね、身近にカエルを見る機会が減ったせいか、むしろ、近年はときに称賛する文脈で使われることもあるんだ。
助手ねこ
ニャンと!ことわざも時代に合わせてだんだんと変わっていくんだニャ!

[使用例] 

人間の子供もそうぞうしいが、おまえも随分そうぞうしいな。あけても暮れても騒いでいる。蛙の子は蛙とはよく云ったものだ。おれ達を見習ってちっと黙っていろ。[岡本綺堂*蟹満寺縁起]


壁に耳あり(かべにみみあり)

壁に耳あり障子に目あり
ことわざ博士
壁に耳あり」とは、壁越しに誰かが話を聞いているかもしれないから、秘密は漏れやすいということだよ。「壁に耳あり障子に目あり」ともいうよ。
助手ねこ
こっそりおやつの場所を教えるニャン。でも、小声でニャ。壁の向こうで、ふわふわの耳が聞いてるかもしれないニャン!

亀の甲より年の功(かめのこうよりとしのこう)

亀の甲より年の功
ことわざ博士
亀の甲より年の功」とは、年長者の人生経験や知恵は、非常に価値があることを表すことわざだよ。 
助手ねこ
さすが年長者だけのことはあると、称賛することわざニャン! 
ことわざ博士
カメは非常に長寿の生物として知られていて、年をとることを「甲羅を経る」ともいうんだ。そこからイメージがつながってるんだね。 
助手ねこ
ニャルほど!「亀の甲」と「年の功」は、「こう」の語呂合わせでもあるニャンね!
ことわざ博士
このことわざは、年齢や経験から得られる知恵の重要性を強調し、若者がそれを学ぶことの大切さを教えてくれているんだよ。 
助手ねこ
新しい毛糸玉ニャ!でも、おじいちゃんが、毛糸玉を追いかける前に、まず爪を研ぐのが大事って言ってたニャ。経験は大事ニャン!

[使用例] 

亀の甲より年の功と云うことがあるだろう。こんな賤しい商売はしているが、まあ年長者の云う事だから、参考に聞くがいい。青年は情の時代だ。おれも覚がある。情の時代には失敗するもんだ。君もそうだろう。己もそうだ。誰でもそうにきまってる。[夏目漱石*坑夫]


かわいい子には旅をさせよ(かわいいこにはたびをさせよ)

可愛い子には旅をさせよ
ことわざ博士
かわいい子には旅をさせよ」とは、愛する子どもを甘やかすのではなく、あえて厳しい環境に送り出し、他人の中で困難を経験させることで、成長させるべきだという教えだよ。 
助手ねこ
つまり、親が全部手助けするんじゃなくて、子どもが自分の力で問題を解決することで、強くなるニャ! 
ことわざ博士
昔の「旅」は現代とは異なり交通手段や通信も限られていたため、自分の知恵と体力で多くの困難に立ち向かう必要があったんだよ。 
助手ねこ
そうニャ! 馬に乗ったり歩いたりして何日もかけて移動し、天候や病気のリスクと戦いながら、目的地にたどり着くことが目標だったニャ。
ことわざ博士
この言葉は、戦国時代からほぼ同じ表現で使われてきたんだ。「いとしき子には旅をさせよ」や「思う子に旅させよ」ともいうよ。 
助手ねこ
おチビにゃんこが大きくなるには、お外の世界で冒険が必要ニャン。ママは心配するけど、強くなるために送り出すニャン!

[使用例] 

お富が言うことには、「そりゃ、まあ、かわいい子には旅をさせろということもありますがね、よくそれでもお民さんがあんなちいさなものを手離す気におなりなすった。なんですか、わたしはオヤゲナイ(いたいたしい)ような気がする。」[島崎藤村*夜明け前]


聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥(きくはいっときのはじきかぬはいっしょうのはじ)

聞くはいっときの恥聞かぬは一生の恥
ことわざ博士
聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」とは、その場で知らないことを聞くのは恥ずかしいけど、聞かないままだと生涯恥ずかしい思いをしなければならないという意味だよ。
助手ねこ
「一時」は「当座」「一旦」、「一生」は「末代」などとも言うニャン。
古くは「聞くは」ではなく、「問うは」の形が一般的だった。

腐っても鯛(くさってもたい)

腐っても鯛
ことわざ博士
腐っても鯛」とは、もともと立派なものは、少し落ち目になってもその価値を失わないという意味だよ。腐ったとしても鯛は魚の王者だからね。
助手ねこ
でも「腐る」という言葉があるから、使う相手には注意が必要ニャ。失礼になることもあるニャン。

苦しいときの神頼み(くるしいときのかみだのみ)

苦しい時の神頼み
ことわざ博士
苦しいときの神頼み」とは、普段は神仏を信じない人が、苦しいときだけ神仏にすがることを言うんだよ。
助手ねこ
普段は疎遠にしている人や義理を欠いている人に対して、自分が困ったときにだけ助けを求めることのたとえに使われるニャ。
「苦しいとき」は、「せつないとき」「かなわぬとき」「ずつ(術)ないとき」などとも言われる。

怪我の功名(けがのこうみょう)

怪我の功名
ことわざ博士
怪我の功名」とは、失敗や過ちが、偶然にもよい結果を生むことだよ。「怪我」は過ちや失敗、「功名」は手柄を立て、名を上げることだよ。
助手ねこ
なにかをしようと思ったわけではないのに、よい結果になったことにも使うニャン。

後悔先に立たず(こうかいさきにたたず)

後悔先に立たず
ことわざ博士
 「後悔先に立たず」とは、なにかをしてしまった後に、悔やんでも取り返しがつかないことだよ。 
助手ねこ
ニャルほど!勉強をサボっちゃったら、テストが終わった後にどんなに悔やんでも点数は変わらないってことニャン? 
ことわざ博士
そのとおり!このことわざは、大変なことになる前に慎重に考えたほうがいいよと、戒めているんだ。 
助手ねこ
オラ知ってるニャ!なにかをし損じたあとで、「あぁ、取り返しがつかないニャ…」と反省するときによく使うニャン。
ことわざ博士
正解!ちなみに、「後悔先に立たず」に続けて、「提灯持ち後に立たず」としゃれて言うこともあったんだよ。 
助手ねこ
みんなも先のことを考えて行動すれば、あとで「しまったニャー!」ってならないニャン。オラも、今日からできることをがんばるニャ!

[使用例] 

繰り返してお礼はいったとはいえ、どうして名前と住所くらい聞かなかったのか、「後悔先に立たず」だ。なんでもこの中年夫婦は、スイスのアッペンツェルからやって来たという。[伊関武夫*ドイツ手作り紀行]


弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり)

弘法にも筆の誤り
ことわざ博士
弘法にも筆の誤り」とは、どんなに熟練した達人でも、ときには失敗するというたとえだよ。これは、平安時代の名僧・空海(弘法大師)に由来する表現なんだ。
助手ねこ
ニャるほど!つまり、すごい人でもときにはミスをするってことニャ。完璧じゃないってことは、普通の人でも安心してミスできるニャ!
ことわざ博士
そうだね。弘法大師は書道の名人で、嵯峨天皇や橘逸勢とともに「三筆」と称されたんだ。でも、一度だけ文字の点を抜かしてしまい、下から筆を投げつけて点を打ったとする伝説があるんだよ。
助手ねこ
ふむふむ、だから「筆の誤り」ニャンね!空海さんも書き間違えたことがあるなんて、そんなにすごい人でも失敗するんだニャー。
ことわざ博士
類句には、「猿も木から落ちる」や「河童の川流れ」などがあるよ。それらも、名人でもときには失敗するという意味なんだ。
助手ねこ
今日はお絵かきするニャ! でも、オラは名人だから、絵を描くのはチョチョイのチョイニャンさ~……あっ、線が曲がっちゃったニャ!
「弘法も筆の誤り」ともいう。弘法大師は日本の真言宗の開祖。

転ばぬ先の杖(ころばぬさきのつえ)

転ばぬ先の杖

ことわざ博士
転ばぬ先の杖」とは、いざという時でも安心なように、用心して手を打っておくことのたとえだよ。また、そのために準備しておくもののことだね。
助手ねこ
杖は転ばないための道具ニャ。転んでから、杖をついても意味ないニャンよ。転ぶ前に杖をついておくことが大切ってことニャンね?
ことわざ博士
その通り!たとえば、山登りに行くなら、天気予報を確認して天気にあった装備をしっかり整えることが大事だよね。
助手ねこ
そうだニャ。山の天気は変わりやすいニャ。だからこそ、雨具や食料を持って行くのが安心ニャんだ。
ことわざ博士
家の火災報知器も、その一例だよね。火事が起こる前に、備えておくんだ。
助手ねこ
なるほどニャ!普段から火災報知器がちゃんと動くか確認しておくと安心ニャン!
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「さ行」のことわざ意味付き

猿も木から落ちる(さるもきからおちる)

猿も木から落ちる

ことわざ博士
猿も木から落ちる」とは、どんなにすぐれた名人でも、ときには失敗することもあるというたとえだよ。まして凡人(普通の人)なら、少々の失敗はしかたがないってことだね。
助手ねこ
木登りが得意な猿でも、ときには木から落ちることもあるってことニャンね。
ことわざ博士
その通り!でも、この失敗をどう生かすかが大事なんだ。反省して次に生かすことで成長に繋がるんだよ。
助手ねこ
ニャるほど!このことわざは、相手を励ます時に使えそうニャン。ただ、相手を猿にたとえちゃうから、目上の人に使う時は注意が必要ニャンね。
ことわざ博士
その通り!このことわざは、多くの類句があるけれど、相手との関係やその場の雰囲気など、状況に応じて使い分けるセンスが必要だね。
助手ねこ
ふむふむ。目上の人には「弘法にも筆の誤り」や「上手の手から水が漏れる」などの方がふさわしいってことニャンね。

三人寄れば文殊の知恵(さんにんよればもんじゅのちえ)

三人寄れば文殊の知恵

ことわざ博士
三人寄れば文殊の知恵」とは、凡人でも三人集まれば、驚くような知恵や解決策が見つかることがあるという意味だよ。
助手ねこ
三人集まると、互いに刺激し合って新しい発想が生まれやすくなるニャンね!一人では思いつかないことも出てくるニャン♪
ことわざ博士
そうだね。「文殊」は、仏教で知恵をつかさどる「文殊菩薩」のことだよ。少し誇張した表現かもしれないけど、平凡な人間でも、三人寄り集まって考えれば、文殊菩薩の知恵のようにすぐれた知恵が出るってことだね。
助手ねこ
ニャルほど!みんなでアイデアを出そうって誘うときにも使える表現ニャンね?
ことわざ博士
その通り!このことわざは、知恵があり信頼できる人に相談を持ちかける際の口説き文句としてもよく使われるんだよ。
助手ねこ
迷路で道に迷っても、勘の鋭いネズミくんと慎重なカメ子ちゃんとなら、みんなで「あっちニャ!」って相談しながら、ゴールにたどり着けそうニャン♪

地震雷火事親父(じしんかみなりかじおやじ)

地震雷火事親父

ことわざ博士
地震雷火事親父」とは、世の中で怖いもの、どうにも敵わない恐ろしいものを並べたものだよ。
助手ねこ
恐ろしい順に並んでいるって言われてるニャン!でも、オラにとっては怒ったパパの方が、地震や雷より怖いニャン!
江戸時代には、「親父」は「父親」ではなく、名主や庄屋(その地域の役人、偉い人)などを差したとする説もある。

親しき仲にも礼儀あり(したしきなかにもれいぎあり)

親しき仲にも礼儀あり

ことわざ博士
親しき仲にも礼儀あり」とは、本当に親しい間柄であっても、最低限の礼儀は守らなくてはならないということだよ。
助手ねこ
でも、必要以上に礼儀ばかりになってしまうと、かえって相手を不快にするニャン。その場合「慇懃無礼」というニャン。ほどほどが大事ニャンね~。

釈迦に説法(しゃかにせっぽう)

釈迦に説法

ことわざ博士
釈迦に説法」とは、仏教の開祖である釈迦に仏教を説くように、未熟な者がその道の専門家に向かって、一人前の口を聞くことのたとえだよ。
助手ねこ
魚の釣り方を教えてあげようと思って偉そうに説明したら漁師さんだったニャン!恥ずかしくって相手に申し訳なくて、まさに「釈迦に説法」だったニャン。

朱に交われば赤くなる(しゅにまじわればあかくなる)

朱に交われば赤くなる
ことわざ博士
朱に交われば赤くなる」とは、人は交わる仲間や友人によって、善悪どちらにも感化されるということだよ。つき合う相手はよく注意しないといけないね。
助手ねこ
善悪どちらに影響される場合にも使われるけど、「悪い仲間とつき合えば悪くなる」という意味で使うことが多いニャンよ。
かつては、対句にして「墨に近付けば黒し」と続けることも多かった。

知らぬが仏(しらぬがほとけ)

知らぬが仏
ことわざ博士
知らぬが仏」とは、不愉快な事実を知れば悩むけど、知らないうちは仏のように穏やかな気持ちでいられるってことだよ。
助手ねこ
当人だけが知らずに平気でいる様子を、あざけったり冷やかしたりするときにも使うニャンよ!

好きこそ物の上手なれ(すきこそもののじょうずなれ)

好きこそ物の上手なれ
ことわざ博士
好きこそ物の上手なれ」とは、なにかを好きで熱心に取り組むと、自然とそのことが上達するということだよ。いまは未熟でも、本当に好きならば上達する望みがあるんだ。
助手ねこ
つまり、好きなことには時間や労力を惜しまず、楽しんで続けるため、結果的に技術や知識が向上しやすいってことニャンね。

過ぎたるは及ばざるが如し(すぎたるはおよばざるがごとし)

過ぎたるは猶及ばざるが如し

ことわざ博士
過ぎたるは及ばざるが如し」とは、何事もやり過ぎてしまうことは、足りていないのと同じぐらいよくないということだよ。物事は、節度やほどよさが大切なんだ。
助手ねこ
健康によいからといって何でもかんでも食べ過ぎると体に悪いし、だからといって全然食べないと栄養不足になるニャン。バランスが大切ニャンね。

雀百まで踊り忘れず(すずめひゃくまでおどりわすれず)

雀百まで踊り忘れず

ことわざ博士
雀百まで踊り忘れず」とは、雀が死ぬまで飛び跳ねる癖が抜けないように、幼い頃に身につけた習慣は、年をとっても変わらないたとえだよ。
助手ねこ
なるほどニャ、つまりオラが子にゃんこのころから好きだった「週刊少年マガジン」を、いまだに毎週読んでいるってことかニャ?
ことわざ博士
そうだね。また、古くは「踊り忘れぬ」の形がよく使われていたんだけど、上方のいろはかるたで「踊り忘れず」という形が採用されたことで、今では「踊り忘れず」が主流となったよ。
助手ねこ
いろはかるたで慣れ親しんだ言い回しが世の中に広まったニャンね!「踊り」ってことばも、昔は遊び人などをイメージして使われることが多かったニャン。
ことわざ博士
そうなんだよ!でも、近現代の用例は、幼い頃に身につけた習慣について使われるようになったんだ。
助手ねこ
幼い頃の癖や習性がずっと続くなんて、ニャンか深い話だニャ!

[使用例] 

これでいよいよ人気が立って毎晩の大入、あとの寄席もどこもかしこも大入続きで、どうやら小さんの名前を汚すことなく、おかげで今日まで参りました。でも雀百まで踊り忘れずとはこのことでしょう。そそっかし屋だけは一生直りそうもありませんでね[正岡容*初看板]


背に腹はかえられぬ(せにはらはかえられぬ)

背に腹はかえられぬ
ことわざ博士
背に腹はかえられぬ」とは、切迫した状況では大切なものを守るために、どうしてもなにかを犠牲にしなければならない、という意味だよ。不本意でもほかに選択肢がないときに使われるんだ。
助手ねこ
つまり、大事なものを守るには、仕方なくなにかをあきらめるしかないってことニャ。でも、なんで「背」と「腹」を比喩にするんだニャ?
ことわざ博士
よい質問だね。人は攻撃されると本能的に背を丸めて腹をかばうんだ。腹は内臓があるから傷つくと命に関わるけど、背中は背骨や肋骨で守られていて少しの傷なら耐えられるからね。
助手ねこ
ニャルほど! だから背中を犠牲にしてでも腹を守るってことニャ。腹は命を守るための象徴でもあるってことかニャ?
ことわざ博士
そうだね。それと「腹」は食べることを象徴していていて、「背」は姿勢や誇りを象徴していることも関係しているんじゃないかな。
助手ねこ
確かに、姿勢や誇り(=「背」)は大事だけど、食べること(=「腹」)の方が生きていく上で大事だもんニャ!

船頭多くして船山へ上る(せんどうおおくしてふねやまにのぼる)

船頭多くして船山に上る
ことわざ博士
船頭多くして船山へ上る」とは、指図する人が多すぎると混乱して、ものごとがうまく進まず、とんでもない結果になりかねないというたとえだよ。
助手ねこ
博士、「船頭」ってなんのことニャ?船の頭ってことは船のてっぺんかニャ?それに船は山に上らないニャ…?教えてニャ!
ことわざ博士
このことわざの「船頭」は、船員が沢山乗っているような比較的大きな船(和船)の「船長」のことを言うんだ。船頭が沢山いたらどうなるかな?
助手ねこ
船頭さんが沢山いてバラバラの指示を出したから、みんなが混乱しちゃったんだね!船が山を上るなんてビックリするニャ~!
ことわざ博士
そのとおり。「船頭が多い」という仮想の条件と「船が山に上る」という誇張表現が、このことわざを強く印象づけているんだよ。
助手ねこ
船頭さんはリーダーで、リーダーを決めることは大事ってことニャンね。それにリーダーにはみんなの意見をまとめる力が必要ニャー。

[使用例] 

十人二十人となっては船頭多くして船山に登る、という怖れになるが、五人ぐらいまでの合作は巧く行くと私は思う。日本にも、職業作家の合作は雑誌社で試みることがあったが、職業作家が自分の仕事片手間にやってはロクな智恵が集まるはずがなく、結局、一人の智恵にまかせることになるか、連鎖作品というような愚にもつかないものになってしまう。[坂口安吾*探偵小説とは]


善は急げ(ぜんはいそげ)

善は急げ
ことわざ博士
善は急げ」とは、よいことや正しいことは、ためらわずにすぐに実行した方がよいという意味だよ。
助手ねこ
お友だちにお礼を言いたいと思ったら、すぐに伝えるニャ。後でやろうと思うと、忘れちゃうこともあるニャン。
「悪は延べよ」と続けることもよくある。

千里の道も一歩から(せんりのみちもいっぽから)

千里の道も一歩から
ことわざ博士
千里の道も一歩から」とは、どんなに大きな目標でも最初の一歩が大事で、そこから少しずつ積み重ねていくことで達成できるということだよ。
助手ねこ
千里(約4000キロメートル)もある遠い道のりでも、まずは足元の一歩から始まるってことニャンよ。なにごともコツコツ進めていくことが大切ニャンね!
一里は約四キロメートル。

損して得取れ(そんしてとくとれ)

損して得取れ
ことわざ博士
損して得取れ」とは、目先の損にとらわれず、長期的な利益を考えることだよ。一時的に損をしても、将来もっと大きな得が得られることを期待するんだ。
助手ねこ
新規開店のパン屋さんが無料でパンを配ったニャン!みんなそのパンのファンになって、次の日にはたくさんの人が買いに来たニャン!
「得」は利益のこと。商売の世界でよく使われることわざ。
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「た行」のことわざ意味付き

立つ鳥跡を濁さず(たつとりあとをにごさず)

立つ鳥跡を濁さず
ことわざ博士
立つ鳥跡を濁さず」とは、去っていく者がその場所を見苦しくしないように、きちんと後始末をしてから立ち去るべきだという意味だよ。
助手ねこ
「濁さず」ってことは、水のことかニャ?そうニャ、この鳥は「水鳥」ニャンか!?水鳥が飛び立つときは、水面が濁ることなく澄んでるニャンね。
ことわざ博士
大正解!安土桃山時代には「鷺は立ちての跡濁さぬ」という言葉もあったから、サギのことを思い浮かべてもいいと思うよ。
助手ねこ
サギは、長い足と首が特徴的な水鳥ニャン。飛び立つ姿が優雅で印象的ニャ〜。それに鳥さんから学ぼうとするなんて、とってもおしゃれだニャン!
ことわざ博士
そのとおりだね。訪れた場所を去るときや従事していた職務を離れる際に、後始末をしっかりと行うことで、人としての品位や美意識を示すことができるよね。
助手ねこ
なるほどニャン!オラも、何かを終えるときには、水鳥のようにきれいにお片付けをしてから去るようにするニャン!

棚から牡丹餅(たなからぼたもち)

棚から牡丹餅
ことわざ博士
棚から牡丹餅」とは、なにも努力していないのに、思いがけない幸運がまいこんでくることのたとえだよ。略して「たなぼた」ともいうんだ。
助手ねこ
棚の上からぼたもちが突然落ちてくるなんて、思いがけない幸運ニャンね♪
昔は甘いものが貴重だったので、牡丹餅が幸運の象徴になっていた。

旅は道連れ世は情け(たびはみちづれよはなさけ)

旅は道連れ世は情け
ことわざ博士
旅は道連れ世は情け」とは、旅行中に助け合える人がいれば、心強い。同じように、世の中を生きていくときも、思いやりを持って助け合うことが大切ってことだよ。
助手ねこ
昔は「住む土地を離れて遠い土地に行くこと」自体を「旅」といって、辛いことや大変なことが多かったニャ!そんな旅の中で助け合える人がいると安心ってことニャ!
「情け」とは、人情(思いやりの心)のこと。

塵も積もれば山となる(ちりもつもればやまとなる)

塵も積もれば山となる

ことわざ博士
塵も積もれば山となる」とは、どんなにわずかな物でも、少しずつ積み重ねていけば、山のように大きな物になる。つまり、小さな努力でも継続すれば、いつか大きな成果が得られるってことさ。
助手ねこ
オラの尊敬する野球選手が前人未到の記録を作った時に、「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただ一つの道」って言ってたニャンよ。
この「塵」は、ゴミではなく、「微塵」と同じで、ごく小さなものを指す。

月とすっぽん(つきとすっぽん)

月と鼈
ことわざ博士
月とすっぽん」とは、形は似ているけれど、実際は比べ物にならないほどかけ離れていること。また、釣り合いがとれないことのたとえだよ。
助手ねこ
月は夜空でキラキラしているけど、すっぽんは泥の中にいるニャン。形が丸いという共通点はあるけれど、まったく別物ニャンね!
ことわざ博士
このことわざは、相手を尊重し、自分をへりくだる場面でよく使われるよ。相手を月、自分をすっぽんにたとえて、釣り合わないと謙遜するんだ。
助手ねこ
縁談を辞退するときに、「提灯に釣鐘」とともに使われることが多いことわざニャンね。自分をすっぽん、相手を月に例えて、相手を立てるんだニャ!
ことわざ博士
よく知ってるね!由来については、「月と朱盆(素盆)」が転じたものという説もあるよ。
助手ねこ
オラの寝床は段ボールだけど、あのセレブ猫さんはふかふかベッドニャン!月とすっぽんニャン。博士、オラにベッド買ってニャ〜。
すっぽんは、泥沼や川に生息するカメの一種で、丸く柔らかい甲羅を持ち、首が長いのが特徴。あごの力が強く、かみついたら離れない。吸い物などにして食べる。

[使用例] 

「実力」の差は、はっきり目に見える程度には、逆転していました。私の感じでは、月とすっぽんほどの開きができていたと思います。[鷲田小彌太*時間をぜいたくに使う技術]


鉄は熱いうちに打て(てつはあついうちにうて)

鉄は熱いうちに打て
ことわざ博士
鉄は熱いうちに打て」とは、ものごとにはタイミングがあって、その好機を逃してはならないという意味だよ。また、子どものうちに教育や鍛錬をしっかり行うべきだというたとえでもあるんだ。
助手ねこ
熱いときにしか鉄の形を整えられないように、適切な時期を逃すと、後からでは成長しにくいってことニャンね。
西洋で広く使われることわざの翻訳。

灯台下暗し(とうだいもとくらし)

灯台下暗し
ことわざ博士
灯台下暗し」とは、灯明台はそのすぐ下が暗いことから、世間のことに詳しい人でも身近な事情には意外とうといことや、手近なことがかえってわかりにくいことのたとえだよ。
助手ねこ
灯台は、油の入った皿に灯心を浸して火をともす昔の室内照明器具のことニャンよ。港口や岬などにある、夜に光で船舶に航路を示す灯台のことじゃないから注意ニャン!
灯台は周囲を明るく照らすが、すぐ真下は台に光がさえぎられて、暗いことから。電気のなかった時代は、灯台などを使って部屋を明るくした。

遠くの親類より近くの他人(とおくのしんるいよりちかくのたにん)

遠くの親戚より近くの他人
ことわざ博士
遠くの親類より近くの他人」とは、遠方にいる身内よりも、日ごろつきあいのある近隣の他人のほうが、いざという時に頼りになるということだよ。
助手ねこ
大地震で瓦礫の下敷きになっちゃったニャン!遠くの親戚に電話しても繋がらニャい!でも、隣のワンコさんがすぐに駆けつけて助けてくれたニャン!
「親類」は、古くは「親子」といい、後に「一家」や「親類」へと変化した。

時は金なり(ときはかねなり)

時は金なり
ことわざ博士
時は金なり」とは、時間はお金と同じくらい大切なもので、無駄にしてはいけないという意味だよ。時間の尊さを教えてくれることばだね。
助手ねこ
受験勉強の途中でスマホをチラッと見てたら、気づいたら1時間も過ぎちゃったニャ!その時間でたくさんの問題が解けたはずなのに、時は金なりニャ…。
英語のことわざ、Time is money.の翻訳。

取らぬ狸の皮算用(とらぬたぬきのかわざんよう)

捕らぬ狸の皮算用
ことわざ博士
取らぬ狸の皮算用」とは、まだタヌキを捕まえてもいないのに、その皮を売ればいくら儲かるかを計算して、そのお金をあてにすることだよ。
助手ねこ
ニャルほど!つまり、どうなるかまだわからないお金儲けの話を自分のいいように考えて、それをあてに気楽な計画をたてることのたとえってことニャンね。
ことわざ博士
昔は、タヌキの皮は防寒着やふいご(空気を送る道具)などに使われていて、毛は筆に使われたんだ。狸汁にもなったよ。だから、狸を捕まえればかなりのお金になったんだ。
助手ねこ
このことわざの由来を考えるものとして「穴の貉むじなを値段する」を西洋風に言い換えたものではないかとする説(新村出)もあったニャンね。
ことわざ博士
おっ、もの知りだね!明治前期のことわざ集『国民の品位』に「取らん狸の皮算用」として収録されていることから、幕末以前に西日本で口承されていたことがほぼ確実になっていることわざなんだ。
助手ねこ
ニャルほど!ちなみに「タヌキ寝入り」は、 鉄砲の音にびっくりして仮死状態になったタヌキに、死んだと思った猟師が近づくと、突然起き上がって逃げ出すことに由来するニャンよ。
「皮算用」は、毛皮がいくらで売れるか計算すること。

飛んで火に入る夏の虫(とんでひにいるなつのむし)

飛んで火に入る夏の虫
ことわざ博士
飛んで火に入る夏の虫」ってことわざを知ってるかな?これは、みずから進んで、わざわいの中に飛び込むことのたとえだよ。
助手ねこ
夏の夜に、炎の明るさに引きよせられた蛾や虫さんが、自分から火に飛び込んで焼け死んじゃうのが由来ニャンね?
ことわざ博士
そのとおり!昔は「愚人は夏の虫、飛んで火に入る」という形で前半だけ使われることもあったんだよ。
助手ねこ
ふむふむ。たしか、明治時代以降にいまの形で広く使われるようになったニャンね?
ことわざ博士
そうだね!このことわざは、無謀な行動や甘い誘惑に対して、しっかりと注意することが大切だという教えでもあるんだよ。
助手ねこ
高収入の闇バイトなど、目先のお金欲しさで近づくと、気づいたら犯罪に巻き込まれることもあるニャン。飛んで火に入る夏の虫にならないように、しっかり冷静に考えることが大切ニャンね。
「入る」を「はいる」とは読まないので注意。

[使用例] 

えーと。 ここはだれ? じゃなくて、ここはどこ? 「ひいっ!」 飛んで火に入る夏の虫とは、あたしのことだ。 地縛霊の渋谷スクランブル交差点、部室棟のなかじゃないのっ[森奈津子*いつでもこの世は大霊界!]

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「な行」のことわざ意味付き

ない袖は振れない(ないそではふれない)

無い袖は振れない
ことわざ博士
ない袖は振れない」とは、なんとか力になってあげたくても、お金や財産が実際にないので、どうすることもできないというたとえだよ。
助手ねこ
お金がなくて、支払いや返済、また立て替えなどができない場合に使われるニャンよ。実際にない物はどうしようもないってことニャンね。

泣きっ面に蜂(なきっつらにはち)

泣き面に蜂
ことわざ博士
泣きっ面に蜂」とは、悪いことがあった上に、さらに悪いことが重なることのたとえだよ。
助手ねこ
悲しいことがあって泣いてるときに、さらにハチに顔を刺されて痛い思いをするってことニャンね?
ことわざ博士
そのとおり。まさにその状況が目に浮かぶようで、巧みな表現だよね。江戸時代の中期には「泣きっ面を蜂が刺す」などと、今よりやや長い表現で使われていたんだ。
助手ねこ
いろはかるたにものってるニャン!絵札に泣いてる子供と蜂が描かれているから刺されて泣いてるのかと思ってたけど、これから刺されるって恐怖だニャー。
ことわざ博士
そうだね!もとは「泣く面を蜂が刺す」のかたちで江戸いろはかるたにも収録されたんだ。二十世紀に入ると「泣きっ面に蜂」の短い形が主流になったんだよ。
助手ねこ
転んで足を打っちゃったニャ。でもがんばって立ち上がったら、今度は上から花瓶が落ちてきて頭にボンッ!今日はもう寝るニャン……。
「泣きっ面」は、悲しくて泣いている顔のこと。

[使用例] 

十五両の代物を三日や四日で玉無しにしたばかりか、その大きい鯨の死骸を始末するにも又相当の金を使って、いわゆる泣きッ面に蜂で、由兵衛はさんざんの目に逢った。[岡本綺堂*虎]


なくて七癖(なくてななくせ)

無くて七癖
ことわざ博士
なくて七癖」とは、どんな人でも多少は癖があるものだから、あまり気にすることはないということ。「あって四十八癖」と続けることもあるよ。
助手ねこ
あまり癖がないと思われる人でも、よく見ると七つくらいは癖があるということニャン。オラは、すぐに腕組みする癖があるニャン。
「なくて」は「ないとしても」の意味。「七」は数の7というより、「さまざま」という意味合いがある象徴的な数。

情けは人の為ならず(なさけはひとのためならず)

情けは人の為ならず
ことわざ博士
情けは人の為ならず」とは、人に親切にしておくと、それはめぐりめぐって、やがて自分のためにもなるということだよ。
助手ねこ
えっ、ニャんか逆の意味に聞こえるニャン!「人の為ならず」って、「人の為にならない」って意味じゃないのかニャン?
ことわざ博士
それは間違いなんだよ。「人の為ならず」は「人の為ではない」という意味で、結果的にその情けが自分に戻ってくる、つまり「自分の為」になるってことなんだ。
助手ねこ
ニャンと!人に優しくすることで、自分にもよいことが返ってくるってことニャンね。オラのようにこのことわざの意味を誤解している人が多いんじゃニャイ?
ことわざ博士
そう、特に誤用の多いことわざなんだ。「下手に手助けをしてもその人の為にならないから、手助けをしない方がいい」というのは誤った使い方だよ。気を付けてね!
助手ねこ
昨日、迷子になって困っている小鳥さんをおうちまで案内してあげたら、美味しい木の実を分けてくれたニャン♪これこそ「情けは人の為ならず」だニャ!
「情け」は思いやりの心。「為ならず」は「為ではない」の意味。

七転び八起き(ななころびやおき)

七転び八起き
ことわざ博士
七転び八起き」とは、何度失敗しても負けずに、また立ち上がってがんばることのたとえなんだ。また、人の世の浮き沈みの激しいことのたとえだよ。
助手ねこ
七は「さまざまな」、八は「数多くの」という意味合いを持っているニャンよ。それに八は、「末広がり」で縁起の良い数字ニャ!勇気がわいてくるニャンね!
「七転び」であれば、本来七回起き上がればよいものであるが、「七起き」ではなく1つ多い「八起き」とすることで、立ち上がる強い意思を表現している。

七度たずねて人を疑え(ななたびたずねてひとをうたがえ)

七度探して人を疑え
ことわざ博士
七度たずねて人を疑え」とは、物が見当たらないときには、何度も繰り返しよく探したうえでなければ、人に疑いをかけてはならないという意味だよ。
助手ねこ
軽々しく人を疑ってはダメってことニャン。七転び八起きと同様、七には「さまざまな」という意味合いがあって、何度もあちこち探せと強調しているニャンね!
「七度」は、今日では「ナナタビ」というのが一般的であるが、古くは「シチド」ともいった。

習うより慣れよ(ならうよりなれよ)

習うより慣れろ
ことわざ博士
習うより慣れよ」とは、人に理屈で教えてもらうよりも、実際に自分で何度も繰り返しやって慣れるほうが、早く上手になるということだよ。
助手ねこ
今日はお魚の三枚おろしを覚えるニャ。でも、説明を聞いただけじゃわからないニャンね。実際にやってみてからだで覚えるニャンよ!
かつての庶民の教育は、多くは仕事と一体化したもので、ことばや理屈よりも師匠や先輩の行動を見習って実際に繰り返すことを重視していた。

二度あることは三度ある(にどあることはさんどある)

二度あることは三度ある
ことわざ博士
二度あることは三度ある」とは、二度起きたことは、さらにもう一度繰り返される。不吉なことや、好ましくない出来事に使われることが多いんだ。
助手ねこ
悪いことが2回も起こった時は、3回目があるかもしれないニャ!注意しようって事だニャン!
かつては、一族で二人続けて亡くなると、三人目の死者のかわりとして人形を葬るなど、三度目の禍を避けるための風習があった。

二兎を追う者は一兎をも得ず(にとをおうものはいっとをもえず)

二兎を追う者は一兎をも得ず
ことわざ博士
二兎を追う者は一兎をも得ず」とは、欲張って二つのことを同時にしようとしても、どちらも上手くいかないことのたとえだよ。
助手ねこ
「兎」はうさぎのことニャ!二羽のうさぎを一度につかまえようとしても、両方に逃げられてしまい、結局一羽も得ず(得ることができない)ってことニャンね。
ことわざ博士
実は、これはヨーロッパで広く使われていることわざの翻訳であり、幕末にオランダ語、フランス語、英語などから同時並行で伝わってきたものとされているんだ。
助手ねこ
ふむふむ。明治10年に刊行された『西洋諺草』という本(西洋のことわざをまとめて紹介した最初の書物)で紹介されたとこのあいだ博士が教えてくれたニャン!
ことわざ博士
そうだよ!その後、小学校の教科書にも取り上げられ、小説などにも用例が見られるようになったことから急速に普及したことが分かるんだ!
助手ねこ
オラ、A子にもB子にも好きって気持ちを伝えたニャンけど、二股してるのがバレちゃって……。結局どっちにもフラれたニャー!

濡れ手で粟(ぬれてであわ)

濡れ手で粟
ことわざ博士
濡れ手で粟」とは、水に濡れた手で粟をつかむと、粟が簡単にたくさんついてくることから、なんの苦労もせずに、もうけることだよ。「濡れ手で粟をつかむ」ともいうよ。
助手ねこ
「濡れ手で粟のようなうまいもうけ話はない」のように、否定的な文脈で使われることが多いニャンよ。怪しい儲け話には注意するニャン。
「粟」は、五穀(米・麦・粟・きび・豆)の一つ。「濡れ手で泡」は誤用。

猫に小判(ねこにこばん)

猫に小判
ことわざ博士
猫に小判」とは、どんなに高価なものや貴重なものでも、その価値がわからない人には何の意味もないことのたとえだよ。
助手ねこ
博士!オラ、小判をもらっても全然嬉しくないニャン。小判よりおいしいお魚のほうがうれしいニャン♪
ことわざ博士
ハハハ!実際に猫に小判をあげることはないけど、この意外な組み合わせがおもしろくて、昔からユーモラスな比喩として使われてきたんだ。
助手ねこ
江戸中期には「猫に小判を見せたよう」といわれていたニャ。後に「猫に小判」と簡潔表現されるようになったニャ。
ことわざ博士
詳しいね。江戸後期には、上方いろはかるたに採用されさらに広まったんだよ。また、自分には価値がわからないことを謙遜して使う場合もあるんだ。
助手ねこ
博士の誕生日に高級ワインをプレゼントしたけど、あとで博士がお酒をまったく飲めないって知ったニャン…。まさに『猫に小判』だったニャ〜。
小判は、江戸時代に使われていたお金(金貨)のこと。

[使用例] 

先生や同行の方は考古学の専門家でしたので、お話を聞いても私には猫に小判で、ただ田圃や農家にばかり目を向けていました。[宇多喜代子*俳句研究]


寝耳に水(ねみみにみず)

寝耳に水
ことわざ博士
寝耳に水」とは、思いがけないできごとや知らせにおどろくことのたとえだよ。「寝耳に水の入りたるごとし」あるいは「寝耳に水の入るごとし」を簡略にしたものとされているんだ。
助手ねこ
近所のニャンコ友だちが、明日引っ越しするらしいニャ。せっかく仲よしだったのに、突然すぎて寝耳に水ニャン。
語源には、寝ている耳に水が入ってきたとする説や、寝ている間に大水が出てその水音に驚いたとする説など、諸説がある。

能ある鷹は爪を隠す(のうあるたかはつめをかくす)

能ある鷹は爪を隠す
ことわざ博士
能ある鷹は爪を隠す」とは、本当に才能や実力のある人は、むやみにそれを見せびらかすようなことはしない、というたとえなんだよ。
助手ねこ
「爪を隠す」は爪を全部隠すということではなくて、むやみに爪を立てて相手を威嚇しないという意味ニャ!オラも能ある「猫」だからいつも爪を隠してるニャ!フフフ…。
ことわざ博士
逆にたいした能力のない人ほど、偉そうに振る舞ったり弱い相手に力を誇示したりすることが多いんだ。このことわざは、そうした人たちを暗に批判する表現でもあるんだよ。
助手ねこ
ニャルほど!偉そうにしたり弱い相手に力をみせつけるのは格好悪いニャんね。「鷹は飢えても穂を摘まず」ということばもあるニャ!鷹は誇り高くて格好いいニャー!
ことわざ博士
鷹は、昔から鷹狩りという狩猟方法(鷹を使って鳥を狩る方法)で武家や公家に好まれていたんだ。それと「能ある猫は爪を隠す」ということわざも実はあるんだよ!
助手ねこ
ニャンと!!昔の人も猫が賢いことを知っていたニャンね!でも鷹さんの方が有名になったニャンか…。猫が可愛いすぎるからかニャ~。

喉もと過ぎれば熱さを忘れる(のどもとすぎればあつさをわすれる)

喉元過ぎれば熱さを忘れる
ことわざ博士
喉もと過ぎれば熱さを忘れる」とは、つらいことや苦しいことは、過ぎてしまえばかんたんに忘れてしまうことのたとえだよ。
助手ねこ
ニャるほど!熱いお湯を飲んで「アチチ!」って思っても、のどを通り過ぎたらすぐにその熱さを忘れちゃう感じニャンね。
ことわざ博士
そうだね。ほかにも、困ったときに人から助けてもらった恩も、楽になればかんたんに忘れてしまうことにも使うんだ。
助手ねこ
確かに、オラも前に博士からおやつをもらったとき、すっごく感謝したのに、すぐにそのこと忘れちゃったニャン。
ことわざ博士
ハハハ。ちなみに、福沢諭吉は『福翁自伝』の中で、このことわざを、肯定的にとらえたんだよ。珍しい使い方で面白いよね。
助手ねこ
オラ知ってるニャン。「貧乏は苦しいに違いないが、その貧乏が過ぎ去ったあとで昔の貧苦を思い出してなにが苦しいか、かえって面白いくらいだ」って言ったニャンよ。

暖簾に腕押し(のれんにうでおし)

暖簾に腕押し
ことわざ博士
暖簾に腕押し」とは、相手に働きかけてもなんの手ごたえもなく、拍子抜けすることのたとえだよ。暖簾を相手に腕押ししても、手ごたえが一切ない感じを想像するといいよ。
助手ねこ
ニャるほど!それって、いくら話しかけてもまともに聞いてくれないときにも使えるニャンね?
ことわざ博士
そのとおり!たとえば、何度もお願いしたり交渉したりしても、相手が誠実に受け答えせず、らちがあかないときに使えるよ。
助手ねこ
それと「腕押し」は腕相撲のことニャンね!他にも「暖簾に脛押し」「暖簾と相撲」って表現もあるんだニャン。どれも暖簾相手じゃスカスカでできないニャ~。
ことわざ博士
そうだね。あと、よく似たことわざに「豆腐にかすがい」や「糠に釘」があるよ!でも、暖簾は豆腐や糠と違って相手が一枚上手でうまくあしらわれるといった印象なんだ。
助手ねこ
ニャルほど!「暖簾に腕押し」は単なる徒労感よりも、相手のほうが上手で少し悔しさが残る表現ニャンね。
「暖簾」はお店の入り口などにたらしておく布のこと。古くは「のんれん」や「のうれん」「なんれん」といった。

[使用例] 

伏見の駕籠かきは褌一筋で銭一貫質屋から借りられるくらい土地では勢力のある雲助だった。しかし、女中に用事(もの)一つ言いつけるにも、まずかんにんどっせと謝るように言ってからという登勢の腰の低さには、どんなあらくれも暖簾に腕押しであった。もっとも女中のなかにはそんな登勢の出来をほめながら、内心ひそかになめている者もあった。[織田作之助*螢]

「は行」のことわざ意味付き

花より団子(はなよりだんご)

花より団子
ことわざ博士
花より団子」とは、見てただ美しいものよりも、実際に役立つもののほうがよいというたとえ。「花」はお花見の花、つまり桜の花のことだよ。
助手ねこ
美しい桜の花をただながめるより、団子を食べるほうがよいということが由来ニャン。
ことわざ博士
そのとおり!桜の「花」は、比喩として美しいものや趣のある風流なもの、「団子」は食べて満足できるものから実利・実質のあるものをそれぞれ意味するんだよ。
助手ねこ
オラこのあいだ、ねこ美ちゃんとデートで映画を見にいった時、映画そっちのけでポップコーン食べてたら「花より団子ね。」ってあきれ顔でいわれたニャン。
ことわざ博士
あらら…。確かに、風流のわからない不粋な人だと、皮肉をこめて言う場合もあるよ。それに、自分のことを風流の分からない人間だと自嘲的に使うこともあるね。
助手ねこ
よーし!ねこ美ちゃんに「オラは花より団子な猫ニャンだ!」って宣言するニャン!次からはおしゃれなデートより美味しいものめぐりデートにして喜んでもらうニャー!

[使用例] 

ほとんど誰でもが云われてみれば気がつくように、「花より団子」とは、一種の 自嘲的諷刺であり、少なくとも、花見というのに、花はそっちのけで、食い意地ばかり張っている人間を軽く嗤った、庶民の気取らない自己批判であります[岸田国士*力としての文化]


早起きは三文の得(はやおきはさんもんのとく)

早起きは三文の徳
ことわざ博士
早起きは三文の得」とは、朝早く起きることで、なにかしらよいことがあるという意味だよ。
助手ねこ
「三文」は、一文銭三枚のことで、ごくわずかのお金のことニャン。文字どおりだと、ほんのちょっとだけ得をするってことニャンね。
ことわざ博士
そうだね。早起きすることで一日を長く有効に使えるよね。似たようなことばで「早起き三両倹約五両」というものもあるんだよ。早起きも倹約も大事だということだね。
助手ねこ
昔の人は、今のように電気なんてないから、なるべく朝早く起きて明るいうちに仕事するのが大事だったのかニャ!暗くなると油や薪を使わないといけニャいもんね!
ことわざ博士
そうだね。朝早く起きると、心も体もリフレッシュできてその日一日がスムーズに進むことが多いね!でも、無理な早起きや睡眠不足になるようなことはないようにね。
助手ねこ
ニャンだか、早起きを継続していろんなことに挑戦してみたくなってきたニャ! 朝の時間をうまく使うのが、成功への近道ってことだニャン!
「得」は「徳」とも書く。

[使用例] 

「おや、これは早朝から何事でございましょうか」六平太は驚いた様子もない。この暁闇のうちに、すでにきちんと衣服を着ていた。「早起きは三文の得とやら申しましてな、商人に朝寝の者はおりませぬ」[早乙女貢*風塵]


人の噂も七十五日(ひとのうわさもしちじゅうごにち)

人の噂も七十五日
ことわざ博士
人の噂も七十五日」とは、世間の噂は長続きしないものだっていう意味なんだよ。時間が経てばみんな忘れてしまうんだ。
助手ねこ
七十五日って、なんでそんな中途半端な数字ニャ?オラ、もう少しキリのいい数字にしたらいいんじゃないかと思ったニャン。
ことわざ博士
七十五日は、やや漠然とした中期的な区切りを示すものじゃないかな。日常的に月を見てくらしていた人々にとって新月から満月は約15日、案外想像しやすかったのかもしれないね。
助手ねこ
なるほどニャ~。お月さんが新月から満月また新月に戻るのが約30日だから、満月が3回過ぎるころには、みんな忘れちゃってるニャって、すごくおしゃれニャ~♪
ことわざ博士
噂に反論すると逆にこじれることがあるから、あまり感情的にならずに、時間が経つのを待つのが賢いかもしれないね。
助手ねこ
噂されるとついくよくよしちゃうニャン。ずっと噂されてるんじゃないかと思うとお外にでるのが辛くなるニャ。だけど、七十五日待てばいいニャンね。気持ちが軽くなったニャン!

[使用例] 

幸次郎はかさねて受け合って帰ったが、別に取り留めたことも探し出さないとみえて、それから又半月ほど過ぎるまで、この一件に就いてはなんの新らしい報告も持って来なかった。人の噂も七十五日で、潮干狩の噂はだんだんに消えて行った。半七もほかの仕事に忙がしく追われていたが、それでも彼の頭にはまだこの一件がこびり付いていて離れなかった。[岡本綺堂*半七捕物帳 海坊主]


人のふり見て我がふり直せ(ひとのふりみてわがふりなおせ)

人の振り見て我が振り直せ
ことわざ博士
人のふり見て我がふり直せ」とは、他人のよいところや悪いところをよく見て、自分の改めるべきところを改めなさい、ということだよ。
助手ねこ
ふむふむ。ほかの人を批判する前に、まず自分をちゃんと見直すことが大事ってことニャンね!
「ふり」は、ふるまいやしぐさ(行いや行動)のことで、服装などの外見も含めてよい。

火のない所に煙は立たない(ひのないところにけむりはたたない)

火の無い所に煙は立たぬ
ことわざ博士
火のない所に煙は立たない」とは、うわさをされるのは、うわさをされるなんらかの根拠があるということだよ。西洋由来の表現と考えられているんだ。
助手ねこ
火の気がまったくない所からは、煙が出るはずはないということニャン。まったく根拠がなければうわさは立たないニャンね。
ことわざ博士
そうだね。煙と同じで、噂もあっという間に広がっていくから、その噂が本当に正しいか見極めることも大事だね。
助手ねこ
なるほどニャン!ちなみに博士、さっき西洋由来って教えてくれたけど、どういうことニャン?
ことわざ博士
黒船の来航で英語の重要性に気づいた幕府がオランダで刊行されていた英語入門書を教科書として使ったんだ。近年の研究でそこに「No smoke without fire.」が掲載されていたことが判明したんだ!
助手ねこ
すごいニャ!偉い先生達の研究で新しい事実がわかったニャンね!オラも沢山勉強して、ことわざの博士になりたいニャ~!

百聞は一見にしかず(ひゃくぶんはいっけんにしかず)

百聞は一見に如かず
ことわざ博士
百聞は一見にしかず」とは、人から何度も聞いたことも、自分の目で実際に見るほうがずっとよくわかるということだよ。
助手ねこ
「百聞」は、話を100回聞くこと、「一見」は、実物を1回見ること、「しかず(如かず)」はおよばないって意味ニャンよ。
ことわざ博士
さすが! よく知ってるね。「百聞は一見にしかず」は、中国の古い書物にある言葉なんだよ。
助手ねこ
オラ知ってるにゃん! 昔、中国の前漢の時代、皇帝が反乱を鎮圧するために、将軍に作戦を尋ねたニャンね?
ことわざ博士
大正解! 将軍は「百聞は一見にしかず」と言って、「遠く離れた場所の戦略を立てるのは難しいので、私が現地に行って実際を見て、その様子を地図に描いてから方策を考えましょう」と答えたんだ。
助手ねこ
ニャ~! 映画の面白さをことばで説明しても、まだ見てない人には伝わらないニャンよ。やっぱり実際に映画を観るのが一番ニャ♪
「千聞一見にしかず」「百聞は目見にしかず」ともいう。

[使用例] 

先月某新聞に競輪のことを書いたが、そのときはまだ競輪を見たことがなかった。二十万円ちかい大穴だの、八百長紛擾、焼打、そうかと思うと女子競輪などゝ殺気の中に色気まであり、百聞は一見に如かずと食指をうごかしていたが、伊豆の辺地に住んで汽車旅行がキライときているから、生来の弥次馬根性にもかかわらず、出足がおくれたのである。[坂口安吾*安吾巷談 今日われ競輪す]


瓢箪から駒(ひょうたんからこま)

瓢箪から駒が出る
ことわざ博士
瓢箪から駒」とは、ありえないと思っていたことが、思いがけなく本当になること。「駒」はのことだよ。
助手ねこ
瓢箪のような小さな口から、大きな馬が飛び出してくるということが由来ニャ。冗談が本当になったりするときに使われるニャ~。
「瓢箪から駒が出る」ともいう。

豚に真珠(ぶたにしんじゅ)

豚に真珠
ことわざ博士
豚に真珠」とは、どんなに値打ちのあるものでも、価値がわからない人にとってはなんの役にも立たず、無意味であることのたとえだよ。
助手ねこ
ふむふむ。豚に真珠を与えても、豚にはその価値がわからないから意味がないってことニャンね?
ことわざ博士
そうだね。これは新約聖書に由来することわざで、聖書には「聖なる物を犬に与うな。真珠を豚の前に投ぐな。恐らくは足にて踏みつけ、向き反りて汝らを噛みやぶらん。」とあるんだ。
助手ねこ
「聖なるものを犬に与えたり、真珠を豚に与えたりしてはいけない。彼らにはその素晴らしさがわからず、聖なるものや真珠を踏みつけた上で、あなたに嚙みついてくるだろう。」って意味ニャンね。
ことわざ博士
よく出来たね!このことわざは、西洋から入ったことわざであるけど、すでにあった「猫に小判」ということわざの影響も受けて、次第に動詞が省略され現在のかたちになったんだ。
助手ねこ
「豚に真珠を投げるな」っていう言い方もするニャンよね!それにしても、聖書のぶたさんは、踏んだり噛んだりで気が強そうだニャ!

下手の横好き(へたのよこずき)

下手の横好き
ことわざ博士
下手の横好き」とは、上手ではないのに趣味などにのめりこんでいて、とても熱心なことだよ。
助手ねこ
博士、このことわざは、自分の趣味などをへりくだって言うときに用いることが多いニャンね?
ことわざ博士
そうだね。たとえば、「ゴルフがお上手ですね」と言われたら、「いえいえ、下手の横好きです」と答える感じだね。
助手ねこ
ふむふむ。逆に、他人に対して、下手なくせにむやみに熱心だと批判的に使ったりもするニャンね?
ことわざ博士
そのとおり!でも、他人の趣味に対してあれこれ言うのはよくないね。たとえ技術をともなわなくても、情熱を評価してあげよう。
助手ねこ
今日は趣味の絵を描くニャン!オラ、全然上手くないけど、毎日描き続けるニャン。なんでかって?だって楽しいんだもんニャ♪
「横好き」は、上手でもないのに、むやみに好むこと。

仏の顔も三度(ほとけのかおもさんど)

仏の顔も三度まで
ことわざ博士
仏の顔も三度」とは、どんなに優しくおとなしい人でも、何度もひどいことをされれば、しまいには怒り出すという意味だよ。
助手ねこ
これまでにひどいことをされたり失礼なことをされたりしても、大目に見てきたけれど、三度も顔をなでられてばかにされれば、どんなに情け深くて心の広い仏様でも腹を立てるってことニャンね。
ことわざ博士
これは、江戸前期から使われたことわざで、古くは「仏の顔も三度撫ずれば腹(を)立つ」と言っていたんだ。
助手ねこ
ニャルほど。「仏」は穏やかでめったに怒ることのない人のたとえニャンね。「仏の顔も」の「も」でいっそう強調されてるニャンね。
ことわざ博士
「三」という数字は、「区切り」を象徴する数字でもあるんだ。必ずしも数値としての「三」と一致するわけではないんだよ。
助手ねこ
ニャニャ、気をつけないといけないニャ。オラ、今週寝坊続きで、博士のことを困らせてたニ。次はちょうど三度目ニャ…、怒られないようにしなきゃニャ(汗)。

[使用例] 

「もうあなた。みんなわたしが悪いんですから。」「あやまりさえすれば、それでいいと言うもんじゃない。仏の顔も三度という事があるぜ。何ぼ僕が甘いからッて、そうそう踏付けにばかりされたくないからな」[永井荷風*二人妻]

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「ま行」のことわざ意味付き

負けるが勝ち(まけるがかち)

負けるが勝ち
ことわざ博士
負けるが勝ち」とは、つまらない争いは避けた方が賢明だということだよ。その場の勝ちに対して無理にこだわらず、相手に譲ったほうが、長い目で見れば勝利につながるというたとえだね。
助手ねこ
負けることが勝ちって逆説的で面白い表現ニャ~。本当に大切なのは将来を見据えることだから、勝ち負けやプライドにとらわれ過ぎちゃダメニャンね!
争っている2人の一方をなだめるときなどによく使う。

馬子にも衣装(まごにもいしょう)

馬子にも衣装
ことわざ博士
馬子にも衣装」とは、つまらない者でも、身なりを整えれば立派に見えることのたとえ。「馬子」を「孫」と間違えないように注意してね。
助手ねこ
「馬子」とは昔、馬に人や荷物を乗せて運ぶことを職業とした人で、身分が低く粗末な身なりをしていたニャ。野良猫でもブラッシングして、いいクッションに座れば高級猫に見えるニャー!
他人に使うと侮辱と受け取られかねないので、使用には注意が必要。

待てば海路の日和あり(まてばかいろのひよりあり)

待てば海路の日和あり
ことわざ博士
待てば海路の日和あり」とは、ものごとがうまくいかないときは、あせらずに待っていれば、必ずチャンスが巡ってくるということのたとえだよ。
助手ねこ
海が荒れて船出のできない日が続いても、しんぼう強く待てば、必ず航海に適した穏やかな日が来るってことニャン。
ことわざ博士
そのとおり!「海路」は船旅、「日和」はよく晴れた天気のことだよ。
助手ねこ
ニャルほど!「待てば甘露の日和あり」ということわざもあるニャンね。「海路は「甘露」から派生したのではないかといわれているニャンね。
ことわざ博士
よく知っているね!ちなみに「甘露」とは、中国古来の伝説で、王様の思いやりのある政治に感心して、天(神様)が降らすとされた甘い露(液)のことだよ。
助手ねこ
おやつが欲しいけど、いまは博士が忙しそうニャ。焦らずにお昼寝して待ってれば、そのうち博士が機嫌よくおやつをくれるニャン♪

[使用例] 

ここらで、小生が食い意地をはり、ちょっかいを出せば、あらぬところで化の皮を剥がれる虞れがあろう。待てば海路の日和、そのうちには小生の方へも、お鉢が回ってくるに違いないと、下の狐はしばしがほど、辛抱に辛抱を重ねて、上の狐が青年共の隙を狙って、一切れの餅を股座へ抛り込むのを待っていた。[佐藤垢石*わが童心]


ミイラ取りがミイラになる(みいらとりがみいらになる)

ミイラ取りがミイラになる
ことわざ博士
ミイラ取りがミイラになる」とは、人を連れもどすために出かけた人が、自分もそこにとどまって帰ってこなくなること。また、説得する人が逆に説得されてしまうことだよ。
助手ねこ
ミイラは腐らないよう施した人間や動物の遺体のことニャ。昔は海外から輸入されたミイラという薬が万能薬として珍重されたニャン。当時は、人間のミイラが原料と思われていたニャ~。
ミイラを取りに行った者が、目的を果たせずに命を失い、墓の中や砂漠などで自分がミイラになってしまったことから。

身から出た錆(みからでたさび)

身から出た錆
ことわざ博士
身から出た錆」とは、自分自身の悪い行いが原因で、本人が苦しんだりひどい目にあうことのたとえだよ。自分自身が招いた災いだから、逃れられずその報いを受けるのは仕方ないということなんだ。
助手ねこ
ニャルほど!ほかの誰のせいでもなく、自分に責任があることを強調する言葉ニャンね?
ことわざ博士
そのとおりだね。「身」は「刀身(刀の本体)」と「自分自身」を、「錆」は「金属のさび」と「不名誉な悪しき事態」をかけているんだ。
助手ねこ
ふむふむ。表面のさびなら研いで落とせるけど、刀身の内側から出た深〜いさびは手の施しようがないってことニャンね。
ことわざ博士
そうだね。戦国時代からの古いことわざなんだよ。江戸のいろはかるたに採用されたことから、今日でも馴染み深く、よく耳にすることわざじゃないだろうか。
助手ねこ
ベッドを爪でひっかき回してシーツをボロボロにして遊んだニャン♪そのあとママに見つかって、一週間ベッド禁止、固い床で寝ることになったニャン…。まさに身から出た錆だったニャ…。

[使用例] 

今までの長話も後悔されてきます。しかし、それもお喋りな生れつきの身から出た錆、私としては早く天王寺西門の出会いにまで漕ぎつけて話を終ってしまいたいのですが、子供のころの話から始めた以上乗りかかった船で、おもしろくもない話を当分続けねばなりますまい。[織田作之助*アド・バルーン]


三つ子の魂百まで(みつごのたましいひゃくまで)

三つ子の魂百まで
ことわざ博士
三つ子の魂百まで」とは、幼いころに表れた性質やは、大人になってもなかなか変わらないんだよ。教育や経験を積んでも、幼少期の性格や考え方は根強く残るものなんだ。
助手ねこ
そうだニャ!オラは小さいころから好奇心旺盛で辞書が好きだったニャ。いまも知らない言葉に興味津々だニャ~。
ことわざ博士
まさにそれだね。それから、「幼いころのしつけや身に着けたことを忘れない」という解釈は誤りだよ。
助手ねこ
さらに、三つ子って、3人の兄弟ってことじゃないニャンね!勘違いしてたニャ~。
ことわざ博士
「三つ子」は年齢のことなんだよ。数え年のこととされているけど、必ずしも厳密な年齢をいうわけではなく、「幼少のころ」という比喩的な使い方をしているよ。
助手ねこ
そうだニャ!必ずしも3歳ってわけじゃないニャンね。前に「仏の顔も三度」で博士が「三」は区切りの意味をもつ象徴的な数字って教えてくれてたニャンね!

[使用例] 

孟子は子供の時分、母と一緒に住んでいた家が墓場に近かった。孟子は友達と遊戯をするのに、よくお葬式の真似をした。母は、その遊びを眺めながら、これは困ったことを覚えたものであると思った。明け暮れお葬式の真似をしていたのでは、三つ子の魂百までもの譬えで、将来に良い影響は及ぼさぬと考えた。[上村松園*孟母断機]


餅は餅屋(もちはもちや)

餅は餅屋
ことわざ博士
餅は餅屋」とは、餅屋がつくる餅は、素人のつくる餅よりも出来が良く美味しいことから、なにごとも専門家が一番秀でているというたとえだよ。また、専門家に任せるのが一番ということだよ。
助手ねこ
昔は「酒は酒屋」や「馬は馬方」なんてのもあったニャ!でも、「上方(京都)いろはかるた」に収録されたことや、餅を作る家庭も多く親しみやすさから「餅は餅屋」が主流になったニャ!

「や行」のことわざ意味付き

焼け石に水(やけいしにみず)

焼け石に水
ことわざ博士
焼け石に水」とは、深刻な事態に対して、援助や努力が小さすぎて効果があがらないことを表したたとえだよ。
助手ねこ
火に焼かれた熱い石にちょっとだけ水をかけても、すぐに蒸発してしまって結局アチアチのままニャ!全然効果がないってニャ!

安物買いの銭失い(やすものがいのぜにうしない)

安物買いの銭失い
ことわざ博士
安物買いの銭失い」とは、安物を買うと、品質が悪いためにすぐに壊れるなどして、結局は損をしてしまうというたとえだよ。
助手ねこ
ふむふむ。安いからって飛びつくと、逆にお金をむだにすることがあるから注意しなさいってことニャンね?
ことわざ博士
そうだね。安物は品質が悪いことも多く、早く壊れてしまって修理や買い直しするはめになって、結果的に損をしてしまうんだね。「安かろう悪かろう」ということばもあるよね。
助手ねこ
なるほどニャ!やっぱり良いものはそれなりに値段がするもんニャ。安いものに飛びつかず、最初から多少高くてもよいものを買ったほうが、長い目で見ると得ってことニャンね!
ことわざ博士
そうだね、ついつい安いものを買いたくなってしまう消費者心理は今も昔も変わらないね。このことわざは、江戸時代から使われてるんだよ。
助手ねこ
時代が変わっても、人は同じ失敗を繰り返すニャンね……。オラもちゃんと考えて買い物をするようにするニャン!

「ら行」のことわざ意味付き

楽あれば苦あり(らくあればくあり)

楽あれば苦あり苦あれば楽あり
ことわざ博士
楽あれば苦あり」とは、世の中は、楽しいこともあれば、苦しいこともあるということ。
助手ねこ
生きていれば、楽しいことばかりじゃなくて、苦しいこともあるニャ。でも、そのおかげで楽しいことがもっと嬉しくなるニャンね!

良薬は口に苦し(りょうやくはくちににがし)

良薬は口に苦し
ことわざ博士
良薬は口に苦し」とは、人が自分のためを思って心から注意してくれる言葉は、聞きづらいものだけれど、自分のためになることのたとえだよ。
助手ねこ
「良薬」は、よく効く薬のことニャー。病気によく効く薬ほど、苦くて飲みにくいってことニャンよ。苦くても薬を飲めばその人のためになるニャンね。
ことわざ博士
そのとおり! このことわざは、現在でも、「良薬口に苦く、忠言耳に逆う」と続けていうことがあるんだよ。
助手ねこ
ニャルほど!「忠言耳に逆う」ってのは、忠告の言葉は、すなおに聞き入れにくいって意味ニャンね。忠言もまた、ちゃんと聞き入れた方がその人のためになるニャ!
ことわざ博士
「良薬口に苦く」と「忠言耳に逆う」は、対句形式になっているよ。江戸いろはかるたでは「良薬口に苦し」と採用されたけど、絵札には臣下の忠言を聞く殿様が描かれていたんだ。
助手ねこ
ふむふむ。オラ、いつも博士に「もっとことわざを勉強しろ」ってガミガミ言われていたけど、それもオラのためだったニャンね♪

論より証拠(ろんよりしょうこ)

論より証拠
ことわざ博士
論より証拠」とは、真実を明らかにするには、議論を重ねるよりもはっきりとした証拠を示すほうが、間違いがないという意味だよ。
助手ねこ
「論」は、意見を言い合うなど、議論をすることニャンね!言い合いよりも、証拠を出したほうが早いニャン!
ことわざ博士
そうだね。江戸いろはがるたにも、「論より証拠」は使われているよ。絵札には藁人形を持った武士が描かれていたんだ。
助手ねこ
なんか怖いニャ! お侍さんが「証拠の藁人形を持っている。お前が犯人ニャ!!」ってことかニャ!?
ことわざ博士
とてもインパクトがあるよね。実際に「論より証拠、藁人形」と続けて言うこともあったんだよ。
助手ねこ
昨日ネズミ君とどっちが早く走れるかを言い合ってけんかしたニャ。けんかをせずにかけっこすればよかったニャ!

[使用例] 

「なるほど、こりゃ困る。論より証拠音が出るんだから、小督の局も全くこれでしくじったんだからね。これがぬすみ食をするとか、贋札を造るとか云うなら、まだ始末がいいが、音曲は人に隠しちゃ出来ないものだからね」[夏目漱石*吾輩は猫である]

「わ行」のことわざ意味付き

我が身をつねって人の痛さを知れ(わがみをつねってひとのいたさをしれ)

我が身を抓って人の痛さを知れ
ことわざ博士
我が身をつねって人の痛さを知れ」とは、自分が痛い目にあったときのことを考えて、人を思いやらなくてはいけないというたとえだよ。
助手ねこ
そうだニャ!昔、友達にいたずらをしたらお母さんに「我が身をつねって人の痛さを知れ」って怒られたニャ!自分でつねったら痛かったニャー…。

禍を転じて福となす(わざわいをてんじてふくとなす)

禍を転じて福と為す
ことわざ博士
禍を転じて福となす」とは、悪いことが起きても、それをうまく生かしてよい結果に変えるという意味だよ。困難をチャンスに変える考え方を表しているよ。
助手ねこ
悪いことが起こったら、落ち込んでるだけじゃダメニャンね! 立ち向かう勇気が必要なんニャン!!
漢籍(中国の書物)由来の表現。禍と福とは全く無関係なものではなく、根底で通じていて禍が福に転じることが出来るとする考えがある。

渡る世間に鬼はない(わたるせけんにおにはない)

渡る世間に鬼はなし
ことわざ博士
渡る世間に鬼はない」とは、世の中には無情な人や非道な人(冷たい人や悪い人)もいるけれど、一生懸命に生きていれば、必ず優しい人や親切な人に出会えるという意味だよ。
助手ねこ
「鬼」って怖い人やいじめっ子とかのことニャンよ。でも、博士みたいに助けてくれる優しい人もいるってことニャン。
ことわざ博士
昔は「世に鬼はない」って言われていたけど「渡る」がついて定着したんだ。「渡る」には、「人生を歩む中で出会う人」という意味合いがあるんだよ。
助手ねこ
なるほどニャ!「渡る世間」って、ただ歩くことじゃなくて、社会の中でみんなと関わっていくことニャンね〜!
ことわざ博士
そのとおりだね。世の中にはいろんな人がいるけど、優しい人も必ずいると信じて、一生懸命に進んでいくことが大切なんだ。
助手ねこ
オラも困っている友達がいたらすぐに助けたいニャ! 助け合うことで、みんなが幸せになれるってことだニャン!

笑う門には福来たる(わらうかどにはふくきたる)

笑う門には福来たる
ことわざ博士
笑う門には福来たる」とは、いつも和やかで笑いの絶えない家には、自然と幸せや繁盛が訪れるというたとえだよ。
助手ねこ
それに、愛想よく笑顔で応対すればお店も繁盛するというたとえでもあるニャン。オラもお店するならずっとニコニコするニャン!
ことわざ博士
いい心構えだね。そうだ、このことわざの「門」は単なる門ではなく、家や家族、一門(一族)を表しているって、知っていたかい?
助手ねこ
へぇ、そうニャンだ~!「門」って、玄関みたいな出入口だと思ってたニャンね!家族や仲間内のみんなを表すものだったんだニャ~。
ことわざ博士
イメージすると覚えやすいね。「いろはかるた(上方)」にも収録されたんだ。絵札には満面の笑みの大黒様が描かれているよ。
助手ねこ
家族みんなが毎日笑顔でいると、楽しくて仲よしで幸せな時間がどんどん増えるニャン!それが「笑う門には福来たる」だニャ~!
異形 「笑う家に福来たる」「笑う所へ福来たる」

[使用例] 

笑う門には福来たる」と昔から日本ではよく言われておりますが、これは笑いというものが人生に取つて何か徳になるもの、人間の幸福と関係があることを証明しています。<略>笑いは少くとも人生の窓であり、それは又希望と光明に向つて開かれた一つの扉とも言えるものです。[岸田國士*笑について]

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北澤篤史サイト運営者
1984年、大阪府生まれ。 著書 『マンガでわかる 漢字熟語の使い分け図鑑』(講談社、2024) ことわざ学会所属。ことわざ研究発表『WEB上でのことわざ探求:人々が何を知りたいのか』(ことわざ学会フォーラム、2023)



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