目次
- 『生き死に』の人生・日常生活のことわざ
- 『齢・生涯』の人生・日常生活のことわざ
- 『時の移り変わり』の人生・日常生活のことわざ
- 『タイミング』の人生・日常生活のことわざ
- 『成功・出世』の人生・日常生活のことわざ
- 『失敗・落ちぶれる』の人生・日常生活のことわざ
- 『経験・苦労』の人生・日常生活のことわざ
- 『処世』の人生・日常生活のことわざ
- 『天運・運命』の人生・日常生活のことわざ
- 『運命の変転』の人生・日常生活のことわざ
- 『幸運・吉事』の人生・日常生活のことわざ
- 『不運・災難・凶事』の人生・日常生活のことわざ
- 『世の儚さ』の人生・日常生活のことわざ
- 『政治・支配・権力』の人生・日常生活のことわざ
- 『正義』の人生・日常生活のことわざ
- 『不正・悪事』の人生・日常生活のことわざ
- 『信仰・教え』の人生・日常生活のことわざ
- 『志・決意』の人生・日常生活のことわざ
『生き死に』の人生・日常生活のことわざ

一度損なわれてしまったもとは、再び元に戻ることはないということ。 別れた夫婦や、こわれてしまった男女の仲は、二度と戻ることはないということ。 また、死んでしまった者は、二度と生き返らないということ。
『齢・生涯』の人生・日常生活のことわざ
『時の移り変わり』の人生・日常生活のことわざ
『タイミング』の人生・日常生活のことわざ

ひとつ間違えば、非常に危険なことが起こりそうな状態。髪の毛一本のところまで危険が迫っている様子をいう。危機や困難に陥るかどうかの、きわめて危ない瀬戸際。「危機一髪のところで助かった」など、危険を回避できた時の表現として多く使われる。 危機はあぶない状態を示し、一髪は一本の髪の毛をあらわす。

「年貢」は昔、田畑などに課せられていた租税のこと。悪事を働いていた者が捕まって、刑に服する時期のこと。また、それまで遊び回っていた者が結婚して身を固めるときなど、あることに決心して観念する時期のことも言う。
『成功・出世』の人生・日常生活のことわざ

うまくできなくても、何度もやっていれば、まぐれでできることもあるということ。 「下手な鉄砲」=鉄砲をうつのが下手な人。「数撃ちゃ」=何度もうてば。「当たる」=命中する。
『失敗・落ちぶれる』の人生・日常生活のことわざ

京都の人は衣装に、大阪の人は飲食に、財産を使い果たすほど金をかけるということ。土地によって人々の好みや、金をかけるものが異なることのたとえ。

ずる賢く立ち回る人が得をする一方で、正直に規則を守り、誠実に行動する人がかえって損をすること。正しい行動が報われない世の中の不公平さや矛盾を嘆いたり、批判したりするときに使う。正直に生きること自体を否定する言葉ではない。

一日かけてようやく上り着くようなところも、下りはあっという間であるという意味。物事を作り上げるためには長い時間と労力が必要であるが、それを壊すのはあっけないほど簡単なことであるというたとえ。

戦争に敗れた将軍はその戦いについてあれこれ言うべきでないし、兵法の理論などを説く資格もないという意味。失敗した者は沈黙すべきだというたとえ。「兵」は、「戦い」を意味する。

一度してしまった失敗は、とり返しがつかないこと。いったん別れた夫婦の仲は、もとには戻らないたとえ。一度こぼれた水は、二度ともとの盆に戻らないということから。 「覆水」とは、こぼれた水のことを表します。この故事成語でいう「盆」とは日本のような平らなものではなく、ボウル状のものを指しています。

一度柳の下でたまたま泥鰌をとったからといって、同じ柳の下でまた見つかるとは限らない。同じように、一度うまいことがあって味をしめても、同じようなことは何度も起こらないという意味。

一度損なわれてしまったもとは、再び元に戻ることはないということ。 別れた夫婦や、こわれてしまった男女の仲は、二度と戻ることはないということ。 また、死んでしまった者は、二度と生き返らないということ。
『経験・苦労』の人生・日常生活のことわざ

馬のよしあしは乗ってみなければ分からず、人柄のよしあしも親しくつきあってみなければ分からない。何事も自分で経験してから判断せよという教え。

年を取った馬が通い慣れた道を忘れないように、経験を積んだ人は物事の判断を誤らないというたとえ。また、長く仕えた家から受けた恩を後々まで忘れない意にも用いる。

目的を果たすために、長い間つらい苦労や困難に耐え忍ぶこと。もとは仇討ちのために苦難を自らに課すことをいった。 もとは敵への復讐を果たすため、つらい苦労を自らに課して屈辱を忘れないようにした故事に由来します。

人生は楽しいことばかり続くのでも、苦しいことばかり続くのでもない。 苦労したひとは、その分喜びも大きく、それだけ得ることも多い。という意味で使われている。

愛しい相手に会いに行く時には、どんなに遠い道のりでも苦にならないということ。 惚れた相手に対して、自分が好きですることは、どんな苦労でも苦にならないということ。

若いうちに経験する苦労は、成長やその後の人生に役立つことがあるため、進んで経験を積む方がよいという教え。苦しさを無条件に我慢したり、危険を引き受けたりすることを勧める言葉ではない。
『処世』の人生・日常生活のことわざ

馬のよしあしは乗ってみなければ分からず、人柄のよしあしも親しくつきあってみなければ分からない。何事も自分で経験してから判断せよという教え。

相手の情勢と自分の情勢をよく知っていれば、何度戦っても危険な目にあわず、敗れることがないという意味。相手と自分の優劣や長所短所を客観的に知る大切さをいう。

徳のある立派な人は、周囲と調和して付き合うが、むやみに人へ同調しない。人格の未熟な人は、安易に人へ同調するが、心から調和して付き合うことができない。

大きな集団や組織の末端にいるより、小さくてもよいから長となって重んじられるほうがよいということ。「寧ろ鶏口と為るも、牛後と為る無かれ」の略。「鶏口」は鶏の口(くちばし)。弱小なものの首長のたとえ。「牛後」は牛の尻。強大なものに隷属する者のたとえ。

大きな集団の中で人に従属するよりも、小さな集団であっても自分が中心となって働くほうがよい、というたとえ。もとは、強大な秦に従属するよりも、独立した韓の王であることを選ぶよう説く場面で使われた言葉。 「鶏口(けいこう)」とは、鶏の口のことで、小さな組織というたとえ。 「牛後(ぎゅうご)」とは、牛の肛門のことで、強大な者に使われる者のたとえ。

柔らかくしなやかなものが、堅く強いものを巧みに受け流し、かえって相手を制することがあるというたとえ。転じて、力で押すよりも柔軟に対応するほうが、よい結果につながる場合があることを表します。 「柔」であれば必ず「剛」に勝つ、という意味ではありません。

大きな目標を達成するためには、周辺のものから手にいれることが先決だというたとえ。相手を説得するためには、相手が信頼している人を先に説得するべきだということ。 「将」とは、敵の大将のこと。

大きなことに取りかかるときには、小さなことにも気を配り、決して油断してはいけないというたとえ。 また、大きな目的のためには、小さなことを犠牲には構っていられないということ。

他人のやったことは、間違っていることでも、自分のために役立てることができるということ。知徳を磨いたり、反省材料にする際に参考になるという事。 「対岸の火事」と混同して、「自分には全く無関係なこと」という意味で使うのは誤りですので、気をつけましょう。

他人のつまらない言動を、自分の手本にするというたとえ。 また、自分の関係ないところで起きた事柄でも、自分にとって参考になることもあるということ。

自分が持っている知恵を一度に出してしまっては、あとで苦境に立たされたときに打つ手がなくなってしまうので、その場その時に合わせて少しずつ披露することが賢明であるということ。

すぐれてぬけ出ているものは、とかく憎まれる。また、でしゃばったことをすると、ほかからねたまれる。 かの有名な経営者、松下幸之助が遺した名言に「出る杭は打たれる、出過ぎた杭は打たれない」という言葉があります。これは、「出る杭」で留まる事なく成功するまで物事を続け、「出過ぎた杭」になる姿勢が大事だという事です。

自分よりも権力が上である者や、大勢が賛成することには逆らわず、おとなしく従っておいたほうが物事がうまく進むということ。 「長い物」=権力や勢力のある、強い人のこと。

人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、めぐりめぐって自分にもよい報いとなって返ってくるということ。 「情けをかけると、その人のためにならない」という意味ではありません。「人のためだけではなく、やがて自分のためにもなる」という意味です。

人に憎まれるような人ほど、世渡り上手で、世間では出世したり成功したりする。厚かましい人は嫌われるけど長生きできるという意味です。人に憎まれるくらいの方が、世の中上手くいくという例えです。 「はばかる」には「ためらう」「気兼ねする」「遠慮する」などの意味もありますが、この場合は好き勝手にするという意味です。
『天運・運命』の人生・日常生活のことわざ

生涯に一度だけ会うこと。また、生涯に一度限りであること。一生に一度のことと考えてそのことに専念する意。もと茶道の心得を表した語で、どの茶会でも生涯にただ一度だと考えて常にまことをつくすべきことをいう。 「一期」は仏教の語では人が生まれてから死ぬまでの間の意。
『運命の変転』の人生・日常生活のことわざ

今日どんなことがあっても、明日はまた別の成り行きになるので、くよくよ心配しても始まらないということ。先のことを思いわずらいすぎず、気持ちを切り替える考え方を表す。

人生、落ちぶれることもあれば栄えることもあるということ。 ・人の運命は変わりやすいもので、いま不幸・不運であっても、よいことが待ち受けているかもしれないのでくよくよしないことのたとえ。 はじめにも補足しておきましたように、「瀬」とは古語の意味のほうが理解しやすいでしょう。
『幸運・吉事』の人生・日常生活のことわざ

幸福と不幸は、より合わせた縄のように絡み合い、互いに入れ替わりながら訪れるということ。何が災いとなり、何が幸せをもたらすかは簡単には分からないというたとえ。

人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、めぐりめぐって自分にもよい報いとなって返ってくるということ。 「情けをかけると、その人のためにならない」という意味ではありません。「人のためだけではなく、やがて自分のためにもなる」という意味です。

誰かが取り残した物の中や、最後に残った物の中には、思いがけなく価値のある物が残っているという意味。 何かの順番が最後になってしまった人を慰めたり、我先にと競う人を戒める時などにも使われます。人を押しのける欲深い人よりも、欲を出さない思慮深い人にこそ幸福がやってくるという教えですね。

一度柳の下でたまたま泥鰌をとったからといって、同じ柳の下でまた見つかるとは限らない。同じように、一度うまいことがあって味をしめても、同じようなことは何度も起こらないという意味。

実際に起こることとは逆のことが夢に現れるものだという意味。悪い夢を見た時の気休めに使うことば。 よい夢を見た場合は「夢は正夢」という言葉を使い、夢でみたことは現実になるという意味で使う。

身にふりかかる災難を活用して、自分に役立つものとして利用するさま。不幸なことが一転して幸福に転じるさま。 「禍」=災い。「転じて」=方向や状態を変えて。「なす」=そのような結果にする。
『不運・災難・凶事』の人生・日常生活のことわざ

幸福と不幸は、より合わせた縄のように絡み合い、互いに入れ替わりながら訪れるということ。何が災いとなり、何が幸せをもたらすかは簡単には分からないというたとえ。

「八方」は東、西、南、北、北東、南東、南西、北西であらゆる方角の意味。占いでどの方角に行くのも凶と出たように、困難を打開する方法がどこにも見いだせない状態。頼る所がなく、途方に暮れていること。

身にふりかかる災難を活用して、自分に役立つものとして利用するさま。不幸なことが一転して幸福に転じるさま。 「禍」=災い。「転じて」=方向や状態を変えて。「なす」=そのような結果にする。
『世の儚さ』の人生・日常生活のことわざ

出会った者は、いつか必ず別れる運命にあるということ。 世の無常をいったことば。会うは別れの始め。 『平家物語』の「生者必滅、会者定離は浮世の習い」が有名。 「会」を「かい」、「定」を「てい」と読み誤らないようにしましょう。
『政治・支配・権力』の人生・日常生活のことわざ

全てを平等に慈しみ差別しないこと。えこひいきがなく、だれかれの区別なく同じように人を遇すること。身分、出身、敵味方などにもかかわらず、どんな人でも平等に慈しみ、禽獣にも区別なく接すること。

その時の利害に従って、結びついたり離れたりすること。また、その時勢を察して、巧みにはかりごとをめぐらす政策、特に外交政策のこと。もとは中国戦国時代、蘇秦そしんの合従策と張儀の連衡策のことをいう。 「従」は縦の意。「衡」は横の意。

大きな集団や組織の末端にいるより、小さくてもよいから長となって重んじられるほうがよいということ。「寧ろ鶏口と為るも、牛後と為る無かれ」の略。「鶏口」は鶏の口(くちばし)。弱小なものの首長のたとえ。「牛後」は牛の尻。強大なものに隷属する者のたとえ。

大きな集団の中で人に従属するよりも、小さな集団であっても自分が中心となって働くほうがよい、というたとえ。もとは、強大な秦に従属するよりも、独立した韓の王であることを選ぶよう説く場面で使われた言葉。 「鶏口(けいこう)」とは、鶏の口のことで、小さな組織というたとえ。 「牛後(ぎゅうご)」とは、牛の肛門のことで、強大な者に使われる者のたとえ。

兎(うさぎ)が捕まって死んでしまえば、猟犬もいらなくなって煮て食われてしまう。必要なときにはよく使われるが、いらなくなると簡単に捨てられてしまうことのたとえ。 「狡兎(こうと)」は、すばしこいうさぎ。「走狗(そうく)」は、よく走る猟犬。

大きな目標を達成するためには、周辺のものから手にいれることが先決だというたとえ。相手を説得するためには、相手が信頼している人を先に説得するべきだということ。 「将」とは、敵の大将のこと。

小さな雀が群がって鳴き騒ぐよりも、鶴が一声鳴くほうが威厳があって優れているという意味で、大勢で議論してまとまらなかったことが実力者・権威者の一言で決まることのたとえ。

自己中心的でわがままな者や自分よりも身分が上の者、権力者には逆立ちしても勝てることはできないので、無茶なことを言われようとも逆らうことなく、相手に従う手段しかないという意味。

小さなことを処理するのに、大人物や大きな道具の必要はない。 「牛刀」は、牛を解体するときに使われる包丁のこと。 「焉んぞ」は、「どうして」の意味で「なんぞ」とも読む。

「弱卒」とは、弱い兵士。頼りにならない部下の意味。大将が強くて勇ましければ、従う兵士もまた自然と勇敢だということ。指揮する者が優れていれば、部下も優れた働きをするたとえ。
『正義』の人生・日常生活のことわざ

ずる賢く立ち回る人が得をする一方で、正直に規則を守り、誠実に行動する人がかえって損をすること。正しい行動が報われない世の中の不公平さや矛盾を嘆いたり、批判したりするときに使う。正直に生きること自体を否定する言葉ではない。

世の中で、まちがったことが堂々と行われれば、すじの通った正しいことは行われなくなるということ。 道理を主張しても聞き入れられない場合は、引っ込んでいるほうが身の安全だということを意味しているとの説もあります。
『不正・悪事』の人生・日常生活のことわざ

一度悪事に手を出したのならばどこで終わっても悪事は悪事のため、それならばいっそうの事開き直って、悪いことをやり続けること。また、一度面倒なことに関わったら、関わり続けるということ。

盗みや悪事を働いておきながら、ずぶとく平然としているさま。また、盗みや悪事を見咎められて居直ったり、逆に食ってかかることをいう。 「猛々しい」は、「ずうずうしい」の意味。

濡れないうちは露に濡れるのさえ嫌なものだが、いったん濡れてしまうとどんなに濡れても気にならなくなるということ。過ちを一度犯すと、何度繰り返しても平気になる、またはもっとひどいことを平気でするようになるというたとえ。

世の中で、まちがったことが堂々と行われれば、すじの通った正しいことは行われなくなるということ。 道理を主張しても聞き入れられない場合は、引っ込んでいるほうが身の安全だということを意味しているとの説もあります。
『信仰・教え』の人生・日常生活のことわざ

この世に存在するすべてのもの、その本質は実体のない仮の姿であるということ。また、その実体のないものが、この世に存在するすべてのものの姿であるということ。

こちらに好意を持ってくれる人を愛するのは誰にでもできる。悪意を示したり、迫害したりする者をも愛することこそ真の愛だという教え。 「新約聖書」マタイによる福音書第五章・ルカによる福音書第六章より。自分の敵は憎むものだという人に、イエス・キリストは「自分を愛してくれる人を愛することは、誰にでもできる。悪意をもって自分を迫害する者にこそ、慈愛をもって接しなければならない」と戒めた。
『志・決意』の人生・日常生活のことわざ

大きな欲を持っている者は、目先の小さな利益には関心を示さないので、まわりの人には無欲に見えるということ。また、欲の深い者は欲張りすぎてしまい、なんの利益も得られないので、結局は欲のない者に見えるということ。

武士は信義を重んずるので、いったん言ったことを取り消すようなことはしない。 「武士に二言なし」「侍二言なし」と表すこともあります。 また現代では、これを応用して「男に二言はない」という言い方が生まれ、更にそれを発展させた「女に二言はない」という言い方もあります。 「口下手なので二言以上言葉を発することができない」という意味で使うのは誤りなので注意が必要です。






















































































































































































































































































































































































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